2024年4月18日(木)

オトナの教養 週末の一冊

2016年8月27日

日本のデータ収集の困難さ

 教育は人間を扱うものであり、すべてをデータで判断するのはなじまないという考え方もある。確かに一面でそうしたことはあるかもしれないし、筆者(中村)も正直そう考える部分もある。その一方で、有意なデータを上手に分析に活用する手はあるはずだ、とも思う。

 著者はこう述べている。

 〈「教育の効果は数字では測れない」という指摘もあります。しかし、私はそれには賛成できません。もちろん、教育のすべての側面を数字で表せるわけではありませんが、最近の経済学や心理学の貢献によって、さまざまな仮定を置きつつも、教育の効果は数値化が可能になってきています〉

 教育関連のデータを処理する過程で、教育の諸相で一定の傾向性が見えてくるという点は、本書に紹介される様々なケースをみても興味深い。

 例えば、ゲームをやめさせたら子どもの学習時間が増えるかどうかについては、著者は否定的である。詳しい内容については本書を参照していただくとわかるが、

 〈1日1時間程度、テレビを観たりゲームをしたりすることで息抜きをすることに罪悪感を持つ必要はありません〉

 という著者の意見にほっとする親もいるだろう。

 また、習熟度別学級が効果をもたらす子供たちはどんな特徴を持つ子なのかといった視点など、筆者も子どもを持つ親としてなるほどと思う点は多い。

 もう一つ興味深いのは、IQや学力テストで計測される認知能力とは違い、「忍耐力がある」「社会性がある」といった人間そのものの気質や性格的な特徴を意味する「非認知能力」が、子どもの将来の年収や学歴、就業形態などの労働市場に大きく影響するという指摘である。「生きる力」ともいうべき能力が重要だということは、様々な人生経験を積む過程において多くの人が十分理解できるところである。ゆえに学校は学力に加えて「非認知能力を培う場所」であるという指摘もうなずける。

 著者の研究を支えているのが各種データであるが、主にアメリカのデータを活用している。本書では日本のデータ収集の困難さなども指摘されており、教育データに対する日米の取り組みの違いも知ることができる。科学的な根拠があってこそ問題意識が明確になり、新たな政策や解決策に結びつけることができる。教育関係者にとっては必読であり、日本でもデータに基づく教育の研究がもっと進んでいいのではないかと考えさせられる一冊である。

 

  
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