橋場日月の戦国武将のマネー術

2016年9月9日

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 そして堺にも「矢銭」(軍用金)という名目で2万貫を課した。堺がこの課金に応じるのは3カ月後の事だが、この集金額にはどれほどの価値があったのだろうか?

 1貫は銭1000文にあたる。この年の12月の奈良の米価が記録に残っているので見てみると、1石が500文。という事は、1貫は2石という計算になる。1石(1000合)は150キログラムだから、1貫あれば300キログラムの米を購入できる。つまり、信長が調達した計2万6000貫で、7800トンもの米を調達できたことになる。

6万人の軍勢にかかるお金

 ここで話を最初に戻して、信長の上洛戦を見てみると、信長が率いた軍勢はおよそ6万人。彼らは50日間遠征に参加したわけだが、当時の合戦では最初の3日分の兵糧は自己負担、という原則がある。つまり信長は47日分の食糧、またはそれを兵たちがそれぞれあがなう事のできるお金を用意しなければならなかった。

『雑兵物語』という江戸時代前期成立の兵法書には兵糧米は1人につき1日6合とある。よって6万の軍勢は47日間で合計約1700万合=2550トンを消費する計算となり、さきほどの米価にあてはめると調達には8500貫が必要となる。米だけでなく、塩・味噌・副食物、攻め落とした城の補修費、槍や刀・鉄砲などの装備の損失分補填にもお金はかかる。

 しかも、信長が支払わなければならなかったのは、それだけではなかった。

 義昭の宿所となった本圀寺(ほんこくじ)の防御を固めるために外まわりをぐるりと土塁で囲う工事もしなければならなかったし、堺が抵抗をあきらめて2万貫を献金した永禄12年(1569年)2月には、義昭のために二条第(旧二条城。現在の京都市上京区の平安女学院のあたり)の造営も開始している。こちらは1万5000人~2万5000人という数の作業員を動員して3カ月ほどで完成させた。

 連日朝から夜まで肉体労働に従事する作業員には、兵よりも多い1人につき1日8合の米が支給される。3カ月で2376トン程度、さきほどの米価をあてはめると調達するには7920貫が必要だと算出できる。当然、こちらにも塩・味噌・副食物、それに賃金を足さなければならない。

 以上あれこれ合計してみると、上洛戦と旧二条城造営、皇居の塀の修繕費用でざっと2万貫以上の資金が必要だったと推測できる。

 面白い事にこの金額、信長が強制的に徴収してまわった額と妙に符合するではないか。そう、信長は支出分をまるまる集金で回収しようとしたのだ。美濃国(現在の岐阜県南部)を併合した翌年に上洛戦を敢行した信長だから、その金蔵にはまだ充分な蓄えができていたとも思えない。

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