2024年4月24日(水)

足立倫行のプレミアムエッセイ

2016年9月4日

大坂人が開いた築地

 ・築地市場の前身は日本橋にあった魚河岸。徳川家康が江戸に幕府を開いた時、将軍家や大名らに御用魚を提供するために大坂から数十人の漁師を連れてきた。御用魚以上の漁獲は市場商いを許可されたので、定住した漁師らの市場が母体となり魚河岸になった。

 ・関東大震災(1923年)で壊滅的打撃を受けた日本橋の魚河岸は、築地の海軍省所有地を借り受け移転することになり、その年の末、臨時の東京市設魚市場が設置された。反対運動もあり、現在地に東京市中央卸売市場が正式に開場したのは昭和10年(1935年)のことだ。

 ・現在、昔ながらの競りを実施しているのは、水産部ではマグロ(青果部ではメロン)のみであり、その他の品目については、各小売業者が各仲卸業者と相対で値段を決める(約1000の仲卸業者中、水産は約820)。

 午前10時になると外国人観光客がドッと場内になだれ込んできた。この時刻から見学可なのだ。荷を運ぶ細長い3輪トラック(ターレと呼ぶ)も通路を縦横に走っているので、クラクションと怒号で喧騒きわまりない。

 その頃からガイドは、場外市場の名物店や区域内の神社、寺院などを回った。

 そして正午に、場内・場外市場から少し離れたビルの寿司店でセットの昼食(寿司)を食べ、ガイド・ツアーの終了である。

 孫のAは、小学生の頃と比べ口数が少なくなっていた。しかし、築地志望は別に鮮魚の流通や移転問題に関心があったわけではなく、「寿司好きだから本場で」と思っただけなので、ともあれ目的を果たし満足そうだった。


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