この熱き人々

2016年9月20日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 22歳で結婚して、30歳目前。勤めていた会社を辞めて専業主婦になり、大阪から奈良に近接する京都府南部の一軒家に引っ越してきた。ある日、いつものように夫を駅まで車で送った帰り道で、咲き乱れる紫陽花(あじさい)の美しさに車を止めた。見せていただけないかと敷地の中に入ったら、木造の建物があった。この建物が、石村に子どもの頃の夢を一気に蘇らせてしまったのである。

今や奈良の伝説的カフェとなった「くるみの木」

 「両親がともに教師で、一人っ子だった私は祖母に育てられたんです。その頃、祖母に勧められて始めた母との交換日記に〈大人になったら、おじいちゃんもおばあちゃんも子どもたちもみんなが喜ぶ自分の店をやりたい。その店の名前は『くるみの木』〉って書いたんです」

 祖母は料理教室を開いたり、箸(はし)置きひとつにも工夫を凝らし、暮らしを彩る達人だった。石村の原点は、祖母と一緒に楽しんだ生活の知恵であり、そこに芽生えた夢の店が、くるみの木。目の前の木造の建物は、その店のイメージに似ていた。その瞬間まで忘れていたかもしれない子どもの夢が、あまりに唐突に現実の今に直結。そのまま家主のところに駆け込んで貸してもらえるように交渉し、夫に話し、たまげて止める周囲をよそに、あれよあれよという間に改装し、カフェと雑貨の店「くるみの木」をオープンさせてしまったのである。

カフェの先駆けとして

 関西本線の踏切のすぐ横。今は住宅地になっているが、32年前は一面の田んぼだったという。当時は、カフェと雑貨を結び付けた店は少なかったのではないかと思う。石村の発想の先駆性と自分の思いにまっしぐらに突き進むエネルギッシュな猪突猛進ぶりが窺い知れる。

 「商いのこと、全くわからなかったし、立地とか集客とか考えてなかったんです」

 考えていたら、やめておいたほうが無難と判断しただろう。玄人ならだれもが失敗を予見した道を、素人だから情熱だけをエンジンに突っ走ってしまった。まさに石村の人生の分岐点。もし思い留まったら、夫と子どもたちと平穏に暮らす人生を送っていたはずだ。

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