2024年4月16日(火)

Wedge REPORT

2016年10月17日

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 その結果、富豪になる千載一遇のチャンスを逃すまいと、アホウドリなどの鳥類を求めて、東は北西ハワイ諸島へ、西は南シナ海の島々へ我先にと危険を顧みずに進出した。「バード・ラッシュ」とも呼ぶべき「無人島獲得競争」が繰り広げられることになる。

 1899年(明治32年)には、ある民間人からミッドウェー島の借地願いが出され、2年後の1901年(明治34年)には、後に軽井沢の別荘地開発を手がける野澤源次郎も、日本政府にこの島の借地願いを提出している。日本から、はるか東、およそ4500キロメートルも離れている太平洋のど真ん中のミッドウェー島で、この時、彼らは既にアホウドリの捕獲事業を行っており、さらに捕獲の独占を狙って借地願いを出していたとは、驚くような話である。

尖閣諸島も「アホウドリ」
止まらない帝国「日本」の拡大

 この「バード・ラッシュ」の結果、日本周辺の無人島は次々に帝国「日本」に編入され、わが国の領土は拡大した。

 日本最東端となる南鳥島は、グランパス島を探し回っていた水谷新六によって、1896年(明治29年)に発見された。彼はその後すぐにアホウドリの捕獲を開始し、南鳥島は1898年にわが国の領土となった。

 また、尖閣諸島は、1885年(明治18年)に沖縄県が調査し、その回航報告書にアホウドリの大群の様子が詳しく記されているが、明治20年代には、多くの日本人がアホウドリの捕獲のために進出した。1895年(明治28年)になって、寄留商人の古賀辰四郎が島の借地権を申請し、翌96年、政府は古賀に尖閣四島を貸与した。

 このように、鳥類がもたらす富を認識した日本人の海洋進出は早く、中国政府の主張する「尖閣諸島は、日清戦争時に日本にかすめ取られた」という時期以前に、多くの日本人が、既に同諸島に進出していたのである。

 なお、「バード・ラッシュ」によって、アホウドリばかりか、国内外の鳥類も捕獲され、わが国から輸出される鳥類は、明治後期には、年間数百万羽にのぼった。大蔵省も250万~950万羽としている。並外れた数量である。


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