2024年4月18日(木)

Wedge REPORT

2016年10月17日

 その多くがヨーロッパ、とりわけフランスに輸出された。高級婦人帽や頭飾りの原料として使用され、その製品はパリの品のファッションとして大流行した。1880年(明治13年)~1920年(大正9年)頃、わが国は世界屈指の鳥類輸出大国であった。

 だが、こうした大規模な捕獲によって、アホウドリなどの多くの鳥類が枯渇へと向かう。このため「無人島獲得競争」は、ますます激化した。玉置半右衛門の鳥島も例外ではなく、アホウドリは激減し、玉置は新たな無人島を探していたが、そのなかで大東諸島の情報を得た。1899年(明治32年)、八丈島から南大東島に開拓船を派遣し、翌1900年、八丈島の人々は、絶壁を登り上陸に成功したのである。

アホウドリを追い求め、八丈島の人々は南大東島の絶壁を登り上陸した
(写真・JYO ISHIKAWA/AFLO)

 こうした状況のもと、1905年(明治38年)前後から、無人島への進出目的に鳥類のほか、鳥糞やリン鉱が加わる。羽毛は軽量のため運搬に小さな船が使用されたが、重い鳥糞やリン鉱は多くの労働者や重機、汽船を必要とした。結果、進出の主体が山師的な商人から独占資本に移行し、その活動は太平洋へと一層活発化していった。

 以上のように、日本の広大な排他的経済水域の形成を主導したのは、アホウドリであった。この鳥は一攫千金になるという認識と、その捕獲という欲求が「バード・ラッシュ」とも言うべき「無人島獲得競争」を引き起こし、はからずも、わが国の領土拡大という副産物をもたらしたのである。

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■特集「国境騒然」
 ・南シナ海問題が発端の尖閣騒動 余波を受ける沖ノ鳥島、南鳥島
 ・尖閣周辺海域に現れた中国漁民の正体
 ・ガス田に東シナ海の〝目〟を設置した中国
 ・海上保安庁だけでは尖閣を守れない 待たれる「離島警備のプロ」創設
 ・図解 海に囲まれた日本 国境付近で絶えぬ争い
 ・現地ルポ 自衛隊基地配備に揺れた与那国島 次なる「震源地」石垣島の〝騒乱〟
 ・「アホウドリ」が広げた日本の領土 巨万の富を巡る無人島獲得合戦

  
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◆Wedge2016年10月号より

 


 


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