2024年4月20日(土)

東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年3月1日

 そしたら美術のベテランが、もう心得たもので「大丈夫、大丈夫。どうせああ言うと思って最初からちょっと手抜いてたから」って。それで一晩かけて塗りなおしですよ。翌日敵さん、「うん、よくできたね」って言うんだけれども、昨日のとあまり違わないんだよね。

 で思ったのは、もしかして黒澤監督て人は、最初にどかんとやって、誰がいちばん偉いかみんなに思い知らせてたのかな、と。一種の人心掌握術ですよ。

人生一度きり。やってよかったと思いたい

 例えば黒澤作品だと、浜野さんの本にも出てくるけど、絶対に写らない箪笥の引き出しの中に入れてあるものも、本物なんですよ。つまりそうさせることで、覚悟を教えてるんですね、これは。そういう類のこと、教えられたですね。

 『デルス・ウザーラ』撮ったあと、大阪へ宣伝に行った。座談会に出てもらうことになった。で、僕と、黒澤さんと、助手席には宣伝部の若い男性が乗って、走ってたら道がわかんなくなっちゃった。そうしたら黒澤さん、猛烈に怒り出してね。「なんで一度下見しておかない。そういう気持ちで仕事やってるのか」って、矛先は僕に向かうんですよ。

原正人さん

 でもこれ、正しいんですね。それはやはり真剣勝負をしていないってことなんだから。黒澤さん自身は、どこかで撮影するっていうと、当然自分でロケハンやって、下見して、時間計って、機材の搬入ルート考えて、って、やってたわけですからね。

 そういうことを教えたいんだろうけど、「原君、キミが悪いんだ」ってそりゃあ剣幕で。でも俺はそれ聞いて、正しいと思ったね。

 っていう類のことが、日常的にある。それでできた映画は凄い。だから何億円て借金抱えても、黒澤さんだからしょうがないや。どうせ人生、いっぺんしか生きないんだから、やってよかったって思わされちゃう。それが黒澤さん。

フィルムに気力をぎゅっと詰め込む

 そういう強烈なぶつかり合い。全人格的な係わり合い。これを今はさせられないんですよ。離れていかれちゃう。それが怖い。

 でも日本て国はそういうことをやりながら、明治以降しこしこやってきたんじゃないかな。そういう基盤が崩れちゃうとね、日本映画よどこへ行くって質問、受けてもねえ。

 だいたい技術が進歩してるから、マイクロフォンだってリモコンマイクでしょ。俳優の声も簡単に拾えるわけですよ。その代わり失ったものがある。気力っていうのか、魂魄(こんぱく)というのか。そういうものをフィルムにぎゅっと、昔は詰めてたんだな。黒澤映画の作り方はそれですよ。気力を高めて高めて、詰め込んでいこうというね。気持ちを埋め込むという。そうすることで、観客に伝わるものができる。

 黒澤さんに教えられたのは、少なくともそういうことですよ。ひとりひとりが、おのれの能力を限界以上まで絞り出して、絞りきったと思ったらもう一回絞られて。考えて考えて考え抜いて、それで手を抜くな、という。


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