障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2016年9月26日

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 父親の影響で5歳の頃には川越ラグビースクールで楕円球に親しんでいた。とはいっても、始めた頃は好きだったわけでも、やる気があったわけでもなかった。姉や弟といっしょにラグビースクールに通ってはいても、負けず嫌いなだけで続けていただけだった。

 小学生になってもあまりラグビーに魅力を感じることはなかった。

 運動も得意で走り回ることは大好きだったけれど、みんなでワイワイ騒ぐことや、集団で生活することが苦手だったためラグビーはやめようかと考えていたこともあった。

 とはいえ、負けず嫌いな性格はラグビーに最適である。小さいながらタックルが好きで小学4年生の頃には同級生の男子をぶっ倒していた。

 その一方、ラグビーだけでは飽き足らず、弟といっしょに地元のボクシングジムにも通っていた。アグレッシブな性格を物語るものだが、勝気ながらも仲間とワイワイやるのが苦手だった本堂にとって、ボクシングは自分の世界に浸りきれる居場所だったのかもしれない。

 そんな本堂だったが、関東ユースのセレクションに合格して一気に気持ちが変わった。

 「え~受かったんだ! それなら、ラグビーやっちゃおう! みたいな気持ちになって、ラグビーにシフトしていったんです。単純なんですけど、それをキッカケに『いつか日本代表になってやる』となってラグビーを続けていくことになるんです」

ディフェンスを抜く本堂さん

始めたばかりの陸上で県大会を目指す

 中学に入ると週末は埼玉県川越市を中心に活動している女子ラグビーチーム「リバティフィールズ」でラグビーを続け、部活動は体力とスピードをつけるため陸上部に入部した。

 最初は短距離、その後800mと1500mで市の大会に出場して最高位は5位。中学3年から心機一転ハードルに転向して県大会出場を目指した。

 「ハードルを始めて数カ月ないのに目標は埼玉県大会に出ることでした。背が低いのでハードルをなぎ倒しながら走って(笑)、毎日のように膝の裏に痣を作っていたんです。そうしたら目標だった県大会への出場が決まりました」

 「『必ず出る』と決めて、とことん頑張れば実現するし、目標は達成できることをこのときに確信しました」

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