障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2016年9月26日

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 県大会の結果は予選敗退だった。しかし、市内の大会で勝ち上がり、県大会に出場するという目標は達成した。短期間でもひたすら集中して取り組むことによって、結果が出せることを学んだ貴重な体験だったと振り返る。

 ただ、「ハードルを続けるには私の身長では無理がある」と日体桜華高校進学と同時にサッカー部に入った。理由はラグビー部がなかったことと体力とキック力を磨きたかったからだ。しかし、本堂が2年生に上がるときに学校側がラグビー部を作り、その最初の部員として半ば強制的に入れられてしまった。

 「誰も入らないから、私も入りたくないといったんですが、おまえがラグビー部をつくるんだと言われて……」

 「案の定希望者ゼロで部員は私ひとり。ボールも無いし、何も無い状態なのに、なんでラグビー部を作ったのかなって毎日思っていました。部活動としての練習ができないから、週末にリバティフィールズや父親のいるラグビーチームの練習に加えてもらっていました」

 そのような環境のなか、高校時代は県内の高校から集まった埼玉選抜として、他の地域の選抜チームと試合をしていた。チームとしてしっかり合わせて試合をした機会はあまりない。ほとんどがぶっつけ本番だったようだ。競技者の少ない女子ラグビーの一面である。

 このころの本堂は不完全燃焼のラグビーに興味を失いかけていた。「やめようかな」、そんな気持ちが芽生えはじめていた。

 

最大の武器は低く突き刺さるタックル

 そんな本堂に2度目の転機が訪れた。毎年日本で行われている国際大会「サニックスワールドラグビーユース交流大会2014」に出場する関東選抜(7人制)に選ばれたのである。そこでU18女子関東選抜監督の小泉幸一氏(千葉県立我孫子高校教諭)に出会った。

 「おまえはタックルがいい」。その一言が本堂の気持ちを引き留めた。

 「私はタックルが一番得意なプレーなので、そこを見てほしいと思っていたんです。だから、とても嬉しくなって、またがんばってみようかなと(笑)」

 「サニックスワールドユースの後に関東選抜と日本選抜(どちらも15人制)のセレクションがあったのですが、受かるわけがないと思っていたのに、どちらも受かってしまって、あれぇ~、みたいな感じでびっくりしました」

 「小泉先生との出会いがなければ、そんなこともなくラグビーをやめていたかもしれません」

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