2024年4月20日(土)

易経に学ぶリーダーシップ

2016年10月15日

君子なら輿に乗り、小人なら剥ぎ取られる

 卦の話が長くなりました。リーダー論に戻りましょう。

 易は卜筮の書であると考えた朱子は、占って「剥」の卦を得た人に君子の徳がある場合と、反対に小人の徳しかない場合と、二つの占断を用意しています。

 はじめに示した原文は「君子であれば輿(こし)を得て民衆にかつがれる。小人であれば住んで居る庵(いおり)の屋根まで剥ぎ取られる」という意味になります。陽が一番上にあって、まだ剥ぎ落とされずに残っているのです。

 君子なら陰(民衆)に担がれ、輿に載せられます。しかし、小人なら近いうちに剥落は頂点にまで達し、自らが住まう庵の屋根まで剥ぎ取られてしまうことを示しています。大きな木の実はもちろん、輿など得られるはずもありません。

 象は同じでも、君子と小人では占いの答えはこのように異なります。これが「剥」卦の特長であり、易の面白いところです。

徳を積むことで君子になれる

 ご自身のリーダー性をより磨いていこうとしている皆さんにとって、自身が君子であるか、小人であるかは大変重要なポイントです。

 『論語』季氏篇には「君子は畏(おそ)れ敬うことが三つある。天命を畏れ、大人(たいじん)を畏れ、聖人の言を畏れる。しかるに小人は天命を知らないので畏れず、大人をあなどり、聖人の言をばかにする」と記されています。

 君子とは大人を敬う者、大人は天命を全うした者(天子)、聖人は天理を教える者で、その言は『易経』『書経』『詩経』『春秋』などの経書に遺されています。そして、小人は天理を知らない者です。

 聖人は過去の偉人ですが、大人、君子、小人の区別は現在でもあります。大人は天下を治めるような人、君子は立派な徳をもつ人、小人は貧弱な徳しかもたない人です。剥の占断にあるように、民衆に担がれる人こそが君子です。優れたリーダーを目指すのであれば、自身の徳を積むことを心がけるべきといえるでしょう。部下や周りの人たちが「この人のためなら」と思い、進んで輿をかついでくれる。これが徳の姿ではないかと思います。徳の少ない小人では、足を引っ張られるのが関の山ということになるでしょうか。

 「徳は得なり」という言葉があります。いったん身についた徳は、なくなることはありません。徳を身につけたリーダーの強みは、そこにあります。

 先に挙げた朱子の「聖人学んで至るべし」は本来、学問の目的は聖人になることであるという意味ですが、凡人であっても学ぶことで聖人へと至る可能性はあるともいえます。

 ところで、お気づきかもしれませんが、中国では政治的に権力者になる者が大人であり、君子です。「聖人学んで至るべし」という朱子の言葉は、中国において政治的な意味と離れては存在し得ないことを付しておきましょう。

(編集・鮎川京子)

  
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