WEDGE REPORT

2016年10月22日

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桑田英彦 (くわた・ひでひこ)

ライター/フォトグラファー

音楽雑誌の編集者を経て渡米。1980 年代をアメリカで過ごす。帰国後は雑誌、機内誌や会員誌などの海外取材を中心にライター・カメラマンとして活動。アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリア、ハンガリー、ウクライナなど、海外のワイナリーを数多く取材。著書に『ワインで旅するカリフォルニア』『ワインで旅するイタリア』『英国ロックを歩く』『ミシシッピ・ブルース・トレイル』(スペースシャワー・
ブックス)、『ハワイアン・ミュージックの歩き方』(ダイヤモンド社)、『アメリカン・ミュージック・トレイル』(シンコーミュージック)等。雑誌『サファリ』にてカリフォルニアのホテルのコラムを連載中。

 今年4月21日に57歳の若さで急逝した天才ミュージシャン、プリンス。彼が独自のセンスとフィロソフィーを注いで1987年に設立したペイズリー・パークは、レコーディング・スタジオ、自宅、コンサート・ホールを含む複合施設である。ミネソタ州ミネアポリス郊外のチャナッセンという小さな町にあり、敷地面積は約6000平方メートルという広大な敷地を有する。一部のメディアに部分的に公開されたことはあるが、その全体像は長年に渡り秘密のベールに包まれていた。そのペイズリー・パークが2016年10月6日についに一般公開され、ファースト・チケットを入手したラッキーなファンが世界中から訪れた。

プリンスのアイコンが散りばめられた自然光が射し込む吹き抜けの中央広間(photo courtesy of Paisley Park - NPG Records)

午前8時、ペイズリー・パークの正面玄関に到着!

 4年ほど前に取材でミネアポリスに滞在した時、市の観光局にペイズリー・パークの取材の手配を打診したところ、「世界中のメディアから取材リクエストがくるけれど、ペイズリー・パークは取材撮影を一切受け付けてくれません」と即答されてしまった。ペイズリー・パークでレコーディングした経験のあるミュージシャンでさえ「内部の撮影は許可されず、見つかると追い出されるんだ」と語っている。

右側の建物がスタジオと自宅、左側の円形の建物がコンサート・ホール(筆者撮影)

 内部にはスタジオやラウンジなど多くの部屋があり、あらゆる場所が紫色に染められ、ミステリアスな絵が飾られ、いつもラベンダーの香が焚かれていて……こういった話が漏れ伝わっていたので、何としても訪問してみたかったのだ。「行けばなんとかなるかも」などと考えレンタカーを運転して行ってみたが、ゲートは閉じられ、内部にアクセスする方法は一切なかった。その閉ざされていたゲートが今回は開かれ、セキュリティにIDを提示し訪問者リストに名前があることを確認された後、念願だったペイズリー・パークの敷地内に入ることができた。

プリンス自身が望んだペイズリー・パークの公開

 ペイズリー・パークのツアーは、メンフィスにあるエルヴィス・プレスリーの邸宅「グレイスランド」のツアーを運営しているグレイスランド・ホールディングスが担当している。午前8時半を過ぎた頃、ペイズリー・パークの正面入り口前に集まったメディアに向けて、マネージング・パートナーのジョエル・ウェインシャンカー氏のブリーフィングが始まる。彼自身もプリンスの大ファンで、彼の突然の死について語った時には涙ぐむ場面もあった。

[ペイズリー・パークのツアー運営会社の幹部、ジョエル・ウェインシャンカー氏(筆者撮影)

 ペイズリー・パークの公開はプリンス自ら計画し、実現を望んでいたのです。そしてここがプリンス・ファンのみならず、多くの人たちにプリンスを知ってもらえるきっかけとなる場所になればと考えています。公開される部屋の中には、プリンスが生前使用していたままの部屋もあれば、衣装や数多くのメモラビリアを飾るために改装した部屋もあります。レコーディング・スタジオを含め、どのように公開するか、どのように改装するか、こういったことすべてをプリンスが信頼していたスタッフたちの手に委ねました。プリンスの死からまだ数カ月、ペイズリー・パーク公開は時期尚早ではないかと言う声も一部にはあります。

 しかしこの広大な敷地と立派な建物を維持するには常に入念なメンテナンスが必要です。しかも内部には7000点を超えるプリンスのメモラビリアの数々、そして貴重な楽器や機材が保管されています。これらのコンディションを保つには相当な手間と費用がかかりますが、放置するわけにはいきません。今回の一般開放における収益はペイズリー・パークの施設維持、擁する貴重なコレクションの保存に充当させる予定です」

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