古都を感じる 奈良コレクション

2010年3月5日

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西山 厚 (にしやま・あつし)

帝塚山大学教授、前奈良国立博物館学芸部長

帝塚山大学文学部文化創造学科教授。前奈良国立博物館学芸部長。徳島県鳴門市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。奈良国立博物館では「女性と仏教」など数々の特別展を企画。主な著書に『仏教発見!』(講談社現代新書)、『僧侶の書』(至文堂)など。日本の歴史・思想・文学・美術を総合的に見つめ、書き、生きた言葉で語る活動を続けている。

  今年も「お水取り」の季節がきた。

 大きな松明(たいまつ)で知られる東大寺二月堂の「お水取り」。3月1日から14日まで、二月堂に押し寄せた人々は、大きな松明の炎、そして舞い散る火の粉に歓声をあげる。
「お水取り」は正式には「二月堂修二会(しゅにえ)」という。二月堂で旧暦2月に修する法会(ほうえ)という意味である。

お松明(長時間露光)  
©JTB Photo Communications,Inc.

 この「お水取り」はいったいどのような行事なのか。二月堂に籠もる練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11名の僧侶はいったい何をしているのか。ほとんどの人たちはそれを知らず、大きな松明だけをみて、満足して帰っていく。

 「お水取り」は、十一面観音におわびをする行事である。

 なぜおわびをするのか。昔の人は、災いは人が悪いことをするから起きると考えた。地震、病気、旱魃飢饉……。それらは、人が悪いことをしたから起きる。

 幸せに過ごしたいのは現代の私たちばかりではない。昔の人ももちろんそうだった。災いが起きないようにするには悪いことをしなければいい。しかし、人は悪いことをする。法をやぶるような悪いことをする人は多くないかもしれないが、知らないうちに、あるいは知りつつも、人はさまざまな罪を重ねる。

 では、幸せに生きることは無理なのか。ところがそれがそうでもなくて、おわびをすればいいらしい。仏様に徹底的におわびすることを、仏教用語で悔過(けか)という。「お水取り」は、十一面観音に悔過をして、あわせて天下安穏(世の中が平和で)・五穀成熟(穀物がよく実って)・万民豊楽(みんなが幸せに過ごす)を祈る法会である。

 いきなり幸せを祈ってはならない。悪いことをしているのだから、まずおわびをする。おわびして、おわびして、おわびして、みんなの幸せを祈る。練行衆は、すべての衆生(しゅじょう)の罪を肩代わりし、松明が消えたあと、深夜に5時間から9時間、一心におわびをする。

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