この熱き人々

2016年11月21日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「だんだん、絵を描いている時と靴を作っている時と、自分の中から発散されているものが同じだと気がついたんです。爽快感というか満足感というか。絵は平面ですが、靴はデザインが具象化されて展示会に商品説明に行くとバイヤーとの出会いがあり、さらに市場を意識するとユーザーの存在も感じられる。しだいに仕事が面白くなってきたんですね」

 靴のことをもっと勉強したい。手製靴を極めてみたいという思いがしだいに膨らんでいた。留学したいと会社に伝えてから退社までの1年間で必死に英語を身につけ、山口が英国に渡ったのは26歳の時。英国を留学先に選んだのは、100年以上前の技術がしっかり受け継がれているからだ。

 翌年、皮革製品の技術を教えるコードウェイナーズ・カレッジに入学できた山口は、2年間の在学中にシューズパターン一級資格を取得し、卒業後に1年の審査を経て「ギルド・オブ・マスター・クラフツマン」の正会員になっている。朝9時から夜8時まで勉強し、靴メーカーでの実習も含めてひたすら靴と格闘した日々を、山口は最高に楽しかったと振り返る。

 

自分たちで作って自分たちで売ろう

 4年間の英国滞在から帰国した山口は、手製靴で生きていこうと決意して、東京へと移り住んだ。明治時代に近代的な靴が入ってきた日本では、手製靴の職人がたくさん生まれたものの、戦後、大量生産・大量販売で機械化が進み、さら糊(のり)が開発されると縫わなくても接着すればすむようになって価格が下がり、職人は消えてしまっていた。

 「親も友人もみんな反対しますよね。もう業界がなくなっているんだから無理だって。とにかく世の中に手製の靴があるんだってことを知ってもらわないことには、どうしようもないですから」

 英国での実績やマスターの証によって、外国の靴メーカーとのデザイナー契約を複数結んで、その仕事をしながら自分の作品をこつこつ作り続け、展示会を開く。絵画や陶器の個展のように発表の場を設けることで、存在を知ってもらうしかない。すでに消えている手製靴の業界を、たったひとりで再建しながら先に進む。再建できなければ、そこで生きていくこともできない。

 「これまで辞めたいと思ったことは一度もないけれど、続けられなくなるんじゃないかと感じたことはありましたね。自分の目指している靴を作りたいけれど、そのためには世の中に認知されなければならないという高いハードルを突き付けられていて、そっちが大変でした」

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