この熱き人々

2016年11月21日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 作りたい意欲は突破口が見つけられないまま自分の中で高まっていくのに、売ってくれる側の意見が立ちはだかる。値段も障害になる。客にちゃんと説明すればきっと納得してもらえると信じていても、問屋も百貨店もそんな面倒なことはしてくれない。

 「ある朝、明日からメーカーになろう、自分たちで作って自分たちで売ろうと決めました。あるレベル以上のものをやりたかったら、そうするしかないんです」

 帰国から5年目の1996年、こうして「ギルド」は浅草の地で産声を上げたのである。自ら制約の鎖を断ち切って、思う存分作りたいものを作り、精いっぱい売る。山口の靴は徐々に評判になり、メディアでも取り上げられ、ぜひ作ってもらいたいという客が次々と訪れるようになっていった。客ばかりではなく、山口の仕事に触発されて靴職人を目指したいという若者も押し寄せてくるようになったのは、想定外の出来事だったという。

サンプルが並ぶ銀座のショップ

 「自分だってみんなに反対されたことだったし、手製靴の勉強をしたいと燃えている若い人たちに何か責任感じちゃってね。でも、ここでみんなを食べさせるなんて無理だし。この業界を再生させるとしたら、職人を育てる必要もあるわけで、技術を伝える学校を作ることにしたんです」

 それが、工房と同じビルにある「サルワカ・フットウエア・カレッジ」。山口は学校長であり、講師でもある。帰国後の山口とずっと一緒に走ってきて今や「コージ・タカノ」という独自のブランドを立ち上げた高野浩司も、一緒に後進の指導にあたっている。

 工房の中の山口の城は、手を伸ばせばすべての道具が掴めるほどのスペース。ここで小さな椅子に座って靴を作っている時間が、本当は最も幸せな時間なのだ。

 「技術的に極めたいことがまだいっぱいある。靴作りってすごく体力のいる仕事なんですよね。どんなに頑張っても70歳になったら限界なので、時間との競争なんです」

 現在、56歳。その眼には老眼鏡が必要になった。自分の作ったものを使ってくれる人の姿を確かに感じながら仕事ができるのは職人の幸せであり、これ以上触るのは蛇足になると思える完成の瞬間は喜びだと、山口は言う。

 36年間、靴とともに生きてきた山口の手は、靴を持つ左手は傷みが少ないが、道具を持つ右手は親指や人さし指の先も全体も著しく変形している。この手もまた、山口の歴史を刻み込んだひとつの見事な作品のように感じられた。

(写真・中庭愉生)

 やまぐち ちひろ/1960年、大阪府生まれ。大阪市立工芸高校卒業後、靴メーカーで皮革スニーカーなどの企画、デザインを手がける。87年に退社し渡英、本格的にハンドメイド靴の技術を学び、英国の伝統的な職人組織「ギルド・オブ・マスター・クラフツマン」の正会員となる。91年に帰国、フリーの靴デザイナーを経て96年に靴工房「ギルド」を設立。
「ギルド」URL:http://www.footwear.co.jp/index.html

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