足立倫行のプレミアムエッセイ

2016年11月20日

»著者プロフィール
閉じる

足立倫行 (あだち・のりゆき)

ノンフィクションライター

早大政経学部中退後、週刊誌記者などを経てノンフィクション作家に。近著に『血脈の日本古代史』(ベスト新書)『倭人伝、古事記の正体』(朝日新書)。

 私はこの11月に境港で小学校時代の同窓会(60年ぶり!)があったので、翌日旧生家の周辺を歩き回ってみたが、空家・廃墟が増え、超モダンな新築の家もかなり建っていたので、文字通り「今ウラシマ」の心境を味わった。

 特に小学校時代の親友で若くして亡くなったT君の家がどうしても見つからず、途方に暮れてしまったことがショックだった(近所の人に尋ねると、かなり以前に転居し家並も随分変わってしまったらしい)。

 それで考えたのである。地上に家を持ち一定期間そこで暮らすということは、走る電車の中である時間座席を専有するくらいの意味しかないのではないか、と。

 私が座った席、占めた空間は、○時◯分には確かに私のものだが、次の駅で私が降りて別の人が座ると、その瞬間から別の人のものとなる。座っている時間に多少の長短はあろうが、左右に座る人や前に立つ人との関係を含め、全ては一期一会……。

 宮沢賢治は『春と修羅』の序で、「わたくしという現象」は、「風景やみんなといっしょに せわしくせわしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明です」と言ったが、まったくその通りだと思った。

 このエッセイを書いている最中にインターホンが鳴ったので、玄関に出ると、子連れの若い夫婦が菓子折りを持って立っていた。

 隣の新築の1軒の居住者だった。3日後に引っ越してくるので、その挨拶だという。つまり、私や私の家族が電車の席を立った後の座席に座る次の人たちであり、「因果交流電燈の 別の青い照明」である。

 私はこみ上げてくるものを飲み込みながら、もちろん笑顔で、挨拶をした。

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。

 

関連記事

新着記事

»もっと見る