2024年4月20日(土)

古希バックパッカー海外放浪記

2016年12月11日

日本海軍の記念碑は今何処

 10月10日 マルタ本島スリー・シティーズ地区。堅牢な城塞都市が海辺に広がっている。前日、「マルタに日本海軍の記念碑がある」とマルサシュロックのレー氏から聞いたのでネットで調べたらカルカーラの英国海軍墓地にあるらしい。第一次世界大戦で日英同盟にもとづき英国から要請を受けて地中海に日本から駆逐艦艦隊が派遣されたようだ。

スリー・シティーズの湾口の要塞

ロイヤル・ネイビーの栄光は永遠に

英国海軍墓地の石造りの堂々たる正門

 海辺の鄙びたカフェで尋ねると丘の上の道を10分くらい歩くと修道院がありその隣がロイヤル・ネイビーの共同墓地だと丁寧に教えてくれた。

 30分近く歩くと立派な石造りの正門があり鉄製の内扉が開いていた。敷地面積はかなり広く整然としており、かつてエジプト、インドへの通商路を確保するために地中海の要衝であるマルタに海軍拠点を置いていたロイヤル・ネイビーの栄光を彷彿させた。

100年前、大日本帝国海軍地中海遠征

木立に囲まれた日本帝国海軍の慰霊碑

 奥の中央に高い石柱が見えたので近づいてゆくと漢字で「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」と読める。裏面の記述によると78名の帝国海軍将兵が100年前の地中海で戦病死している。

 “大正6年6月11日 駆逐艦≪榊≫艦長上原太一中佐以下59名エーゲ海セリゴット島東方でドイツ潜水艦Uボートの魚雷攻撃により戦死”とある。その他にも地中海各地での戦闘による戦死者や苛烈な気候による病死者の氏名、享年、階級が記載されている。


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