2024年4月19日(金)

古希バックパッカー海外放浪記

2016年12月11日

大隈重信の孤独な決断

 赤色革命前夜のロシア、辛亥革命直後の中国という不安定なアジア情勢、さらに1911年には日韓併合に踏み切ったばかりである。アジアの大混乱に加えて欧州での列強の激突である。日本はドイツとは特段利害関係は深くなかったが戦後の世界秩序の再編もにらんで英国・フランスの連合国の勝利に賭けたわけである。

 ネットで調べると時の宰相は大隈重信であるが議会や軍部に事前了解を取らずに英国に参戦の通知をしたという。現代からみればあり得ない独断専行であるがまさに大英断であり炯眼である。

 結果的にはベルサイユ会議における戦後処理でアジアの盟主としての地位を認められ南太平洋の委任統治権を得て国際連盟の常任理事国となった。そのように考えると1933年に日本が国際連盟を脱退するまでの日本の安全保障の基礎を築いたのは1914年の地中海への駆逐艦隊派遣ということになるのではないか。78名の犠牲を伴った海外派遣が日本に安全保障の枠組みをもたらしたのである。

(写真右)戦後に作られたプレート、英連邦のプレートの隣に設置されている (写真左)第一次世界大戦で連合国であったフランス海軍の戦没者も英国海軍墓地に埋葬されている

「日本は自力で専守防衛すればいいんですよ」

 マルタに出発する二週間前に横浜にジャズを聞きに行った。そのとき横浜スタジアム近くで“戦争法案廃棄署名運動”を呼びかけている市民団体に遭遇した。29歳の弁護士の青年は「集団的安全保障体制は危険です。アメリカの戦争に巻き込まれます。安保条約は不要です。中国が攻めて来たら日本は憲法で容認されている自力専守防衛すればいいんです。そのための自衛隊でしょ。そして海外の紛争は日本には関係ないことですよ」と一国安全保障論を論じ立てた。

 マルタと比較すれば日本は大国である。しかし現代の複雑な国際社会において有事において日本一国で防衛可能な軍備体制を常時維持することは莫大な防衛費負担を考えれば非現実的であるし、一国平和主義を唱えれば友好国の信頼を失い国際社会から孤立する。マルタでの見聞は日本の安全保障を巡る議論に格好の材料を与えてくれたように思う。

⇒第4回に続く

  
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