コラムの時代の愛−辺境の声−

2016年12月10日

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藤原章生 (ふじわら・あきお)

毎日新聞記者

1961年、福島県生まれ。北海道大学工学部卒業後、住友金属鉱山に入社。89年に毎日新聞社に入り、ジャーナリズムの道へ。92年に外信部に所属し、 93年にメキシコ留学。帰国後の95年から南アフリカ・ヨハネスブルグでアフリカ特派員、2002年からは、メキシコ市支局長、ラテンアメリカ特派員。08年〜12年までローマ支局長。5 年半に渡るアフリカ特派員時代の取材を元にした著書『絵はがきにされた少年』(集英社文庫)で05年の開高健ノンフィクション賞受賞。著書に、『世界はフラットにもの悲しくて』(テン・ブックス)、『資本主義の「終わりの始まり」―ギリシャ、イタリアで起きていること』 (新潮選書)、『ギリシャ危機の真実 ルポ「破綻」国家を行く』(毎日新聞社)『翻弄者』(集英社)、『ガルシア=マルケスに葬られた女』(集英社)。

 2番はこうなる。

 「何を言いたいのか、わからなかった。スカーフが君の口をしっかり隠していたから。俺のこと、わかってくれていたのか、わからなかった。でも、君がわかってると言ったから、それを信じたんだ。俺の耳元でささやいたとき、彼女と君のどっちを取るかって聞いたとき、何を言ってるのかわからなかった。その素直さ、若さに気づかなかったんだ」

 今風に言えば〝痛い〟言い訳である。

 結局、言いたいのは「君のことをちゃんと見て、いつも第一に考えるから、頼むから、戻ってよ、頼むよ」という懇願だ。

 「それなら、素直に頼めよ!」「言い訳するな!」と言い返されそうだが、ぐだぐだと自己正当化を図るのがディランの歌の「語り手」の持ち味である。

 同じアルバムの次の曲、「I want you」はこう始まる。

 「葬儀屋は後ろめたいからため息をつき、オルガン弾きは寂しいから大声を出す。銀のサクソフォンは、もうあの娘に構うなって言うし、ひび割れた鐘とすすけた笛が、俺の顔に吹きつけ叱り飛ばす。でも、そんなのどうだっていい。俺は君を失くすために生まれてきたんじゃない。君がほしい。君がほしい。とにかくほしいんだ」

 「君がほしい」と素直に言うまでに、あれこれと小難しい比喩と前置きが長いのもディラン節と言えるだろう。

 いずれも66年、彼が24歳のときの作品だ。

 それから3年、69年になると、同じ失恋歌でももう少し成長した感じがある。

  バイク事故を起こし表舞台から去り、しばらくぶりに、今度はしゃがれ声でなく透き通った声で発表した「I Threw It All Away(捨ててしてしまった)」。ライブ版の「ハード・レイン」(76年)での熱唱の方が私は好きだが、ここではなぜか、少し説教調になっている。

 「かつて彼女を腕の中に抱いた。ずっと一緒にいるって彼女は言ったんだ。でも俺はひどい奴で、彼女を馬鹿みたいに扱い、捨ててしまった。かつての俺には、掌に山々があった。川が毎日流れていた。おれはきっとおかしかったんだ。自分が手にしているものが何なのか、わからなかった。それを捨ててしまうまで。

 愛はそこにあり、それが世界を回している。愛、愛だけは消せない。どう考えようと、それなしでは生きていけない。知っている人に聞いてみればいい。だからもし、全身で愛をくれる人を見つけたら、大事に受け止め、決して手放しちゃいけない。はっきりしているのは、もし捨ててしまえば、絶対に傷つくんだから」

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