万葉から吹く風

2010年4月14日

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岸本葉子

1961年、神奈川県生まれ。東京大学教養学部卒業。保険会社勤務、中国留学を経てエッセイストとなる。生活や旅を中心に多くの作品を発表。近刊に『俳句、はじめました』(角川学芸出版)がある。

 鎌倉に生まれ育った私にとって、松籟〔しょうらい〕は子どもの頃から、耳になじんでいるものです。

 海を指して歩いていくと、浜に出る前から聞こえてきます。潮騒とは別の音です。空の高いところを、水が流れ続けているような。そこだけ別の、風の道筋があるような。

 旅先でも、松が目にとまります。入り組んだ海岸線に沿って、列車で揺られていくときなどに。とりわけひかれるのは、崖の上に1本だけ立つ古木です。

 枝々は一方向になびくように生えています。絶え間なく風が吹きつけ、岩場では打ち砕ける波が轟いていることでしょう。にもかかわらず、松の周囲だけ、不思議な静謐さに包まれて見えるのです。

一つ松幾代か経〔へ〕ぬる吹く風の
声〔おと〕の清〔す〕めるは年深みかも
                                       
                 (巻6-1042)

photo:井上博道

 一本松はどれほどの時代を経てきたのか。梢〔こずえ〕を吹く風の音が 美しく通るのは、歳月を重ねたからだろう。

 万葉集のこの歌を知ったのは、鎌倉を離れて久しい、40代になってからですが、「声の清める」は、ああ、ほんとうにそういう音だと素直に胸に入ってきました。同時にそれを「年深みかも」と関連づけているのが、新鮮でした。

 今の世では、女性はことに、若くあることが尊ばれます。対してこの歌は、響きの美しさを、加齢に帰している。老いについての特徴的なとらえ方が、万葉集にあるのかどうかは、わかりません。が、少なくともこの1首は、年をとることへの賛歌と感じられます。

 古木、とりわけ、1本だけで立つ木とあれば、風避けになるもの、雨や過酷な陽ざしを遮るものは何もない。幹の肌は傷んでひび割れ、剥落したところもあるでしょう。

 けれども梢の音色には、いささかの濁りも混じっていない。そのような澄んだ心持ちに、私もなれるでしょうか。

 併せて思い出される歌があります。

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