2024年4月20日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2010年4月7日

 とはいえ、死生観を語ることは簡単な話ではない。そんな問題をあのいかにも手軽な「街角インタビュー」から窺い知らせようなど不可能。むしろ逆効果という気さえする。

人命を政治利用するのはいずこも同じ?

 実は、毒ギョーザ事件が発生してすぐに、私の周囲では、多くの人が「事件終結」のシナリオを今回の容疑者逮捕とかなり近い線で予想していた。

 ――唐突に「犯人」が逮捕される。その人は貧しい農民工(農村からの出稼ぎ労働者)で、自身の境遇、待遇に不満をもったことが犯行の動機だ。少々同情の余地はあるものの、「食の安全」と国家の威信を脅かした行為に断固対処する当局は死刑判決を言い渡し、ほどなく執行される。しかし、容疑者が真犯人かどうかの検証や裁判が正しく行なわれたか否かは問われずじまい。それよりも中国当局は、政治的に最も有利と見られるタイミングで、「犯人逮捕」や、見せしめとしての「犯人処刑」を発表するだろう――

 このような予測だったのだが、いかがか? 今回の容疑者逮捕の報は、この下馬評の前半部分とほぼ一致している。つまり割合に中国をよく知る人々なら、今回の容疑者逮捕は「あぁ、やっぱり」と思えるほど実に「中国らしい」成り行きといえるのだ。

 「見せしめ」とされる公算の高い容疑者は、その命の期限さえも政治的な駆け引きの一要素にされる。一部報道では、日本人への死刑執行の件も、「毒ギョーザ事件を解決して日本人の対中感情が好転した(と判断した)タイミングで執行された」との見方がある、と伝えていたが、もし本当に中国当局がそう判断したのなら、それは大間違いだ。

 日本人の多くが、毒ギョーザ事件の容疑者逮捕に不審を感じ、今回の死刑執行で中国がどういう国かをはっきりとわかり、総合的に不信が高まったといっていいだろう。

 一方、「命を守りたい」「世界の命を守りたい」と力説し、「人権派」なる人材を閣僚に起用している、わが国の鳩山総理の今般のコメントも実に不可解である。

 「死刑は重すぎないか、という日本人の感情はあるだろうが、これは他国の国内法なのでいかんともしがたい。(死刑執行停止を申し入れることは)内政干渉となりかねず、残念ではあるが、これによって日中関係が損なわれないよう留意しなければならない」

 ちなみに、同じく麻薬取引で自国民が死刑に処された英国のブラウン首相は、自ら声高に何度も中国側に刑の執行停止を呼びかけた。

 鳩山総理にとって、「麻薬取引なんぞする悪い日本人の命」はどうでもいいのだろうか? 犯罪者にも刑事被告人にも「人権」は当然ある。日本国内での「人権擁護法案」や「人権擁護機関設立」には熱心な自称「人権派」内閣が、この件に関しては歯切れの悪いコメントしかしないのは一体どういうわけか?

 今回の件を見る限り、仮に、中国国内で日本人が冤罪に問われても、日本政府は「残念だが、内政干渉はできない」と済ますということだろう。刑の執行という特異なケースとはいえ、日本国民の命が他国当局の手で葬られた事態に、わざわざ「日中関係重視」を表明するのは一体どういう了見か? 人命や人権を、政治ゲームの一要素と考えるのはどうやら中国政府だけではないらしいので注意が必要だ。


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