WEDGE REPORT

2016年12月31日

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風樹茂 (かざき・しげる)

作家、国際コンサルタント

作家、国際コンサルタント(kazakishigeru@gmail.com)。1956年、北海道生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒業。メキシコ留学後、中南米の専門商社を経て、南米アマゾンの奥地でODAプロジェクトの鉄道建設にかかわる。その後は、シンクタンク、研究所勤務などで、首相向けの政策提言、ODA援助、海外投資、NGOプロジェクトに従事。イスラム開発銀行のコンサルタントも経験し、30数カ国を踏査。石油関連事業でカタール、ベネズエラに駐在。

 その後の動静はあまり伝わらない。選挙キャンペーンの無理がたたり、容態はかなり悪化していたのではなかろうか。また、当時、不都合な事実が暴かれていた。年初にチャべスが訪れた「セロ・アス―ル」のセメント工場は中途で挫折し、機材は野晒になり、労働争議が頻発していた。中途で放棄されるプロジェクトのひとつにすぎなかった。

 11月24日からチャべスの病状は急変した。下腹に激痛が走り、2度意識を失い、喀血した。27日に急遽キューバ空軍機でハバナへと送られ、翌日には癌の専門チームがロシアから派遣され、高圧酸素療法が施工された。

 12月7日、チャべスはカラカスに飛んで帰り、8日に政府幹部とともにテレビに出演した。チャべスの右に政府ナンバー2の国会議長ディサード・カベージョ、左に副大統領に昇格したニコラス・マドゥロ(現大統領)が座った。

 チャべスはサータディ・ナイトフィーバーの映画の思い出を語り、自身の革命を総括し、もう一度ハバナで手術をする必要があると言い、もし帰国できないときにはと、マドゥロを大統領候補に指名した。そして祖国を称える歌をうたい、叫んだ。「勝利の日まで、ベネズエラ万歳!」。全員が復唱した。

 カストロが、ベネズエラ最大のコカインカルテル「ロス・ソレス」に君臨する個性の強い軍人上がりのディオサードではなく、元バスの運転手で、組合活動家だった従順なマドゥロを好んだのだ。マドゥロは大卒ではないが、24歳のときには、キューバで政治教育を受けている。

最初の手術から2年もたたずに死ぬ

 チャべスは12月9日ハバナに戻り、11日に最後の手術を受けた。癌はすでに膀胱、腹部、肺に転移していた。手術中に動脈を傷つけ、大出血があったともいわれている。その数日後から、呼吸困難が繰り返され、12月31日、チャべスは死んだ(チャべス死の日は様々な説があるが筆者はこの日がもっとも確度が高いと考えている)。

 不思議である。チャべスは最初の手術から2年もたたずに死んでしまった。前立腺癌の5年生存率は日本では100%だ。チャべスは足の痛みを感じていたのだから、ステージCぐらいで発見されたのだろう。その場合も5年生存率は50%前後である。なぜ、最初から前立腺癌ステージCの標準治療である、ホルモン療法と放射線治療が行われなかったのだろうか?

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