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2017年1月11日

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1939年にナチス・ドイツのポーランド侵攻に気づき、特ダネとして伝えた英国の戦争特派員、クレア・ホリングワースさんが10日、香港で亡くなった。105歳だった。

1911年に英レスター地方で生まれたホリングワースさんが「世紀のスクープ」をつかんだ当時、英紙デイリー・テレグラフの新人記者だった。ポーランドからドイツに車で移動中、ポーランド国境沿いにドイツ軍が集結していることに気づき、1939年8月29日付で「ポーランド国境に戦車1000台集結。電撃作戦のため10師団が待機と」という見出しの記事を書いた。当時の新聞の慣例にならい、署名はなかった。

ドイツ軍の戦車はその3日後、国境を越えてポーランドに入り、これもホリングワースさんの特ダネとなった。

戦争中はトルコ、ギリシャ、エジプト、パレスチナ、イラク、ペルシャで取材を続け、戦後もアルジェリア、中東、ベトナムの戦場を取材し続けた。ベトナムでは、米軍報道官の目を盗んで極力、現地のベトナム人の話を直接聞こうとしていた。

英紙ガーディアンのベイルート支局にいた1963年には、英情報機関職員キム・フィルビーの失踪を受けて、フィルビーこそがガイ・バージェスとドナルド・マクリーンとならぶ、ソ連二重スパイグループの「第三の男」だと確信。取材の結果、フィルビーがソ連行きの船に乗ったと突き止めて「フィルビーがソ連亡命」と特ダネ記事を書いたが、名誉棄損で訴えられるのを恐れた同紙は3カ月間これを掲載せず、特ダネはデイリー・エキスプレス紙のものになった。

ホリングワースさんは記者になる前に、ポーランドで大勢の人に英国ビザを提供し、ナチス・ドイツの侵攻から救い出した。

ホリングワースさんに助けられたマーゴ・スタニヤさんは訃報を受けて、「ちょうどいい時にちょうどいい場所に居合わせた、見事な女性だった」と振り返った。

2度結婚し、1973年にテレグラフ紙の初代北京特派員となった後、1981年に引退。亡くなるまでの40年近くを香港で過ごした。

取材依頼の電話が鳴ったら次はどこに行きたいか質問されたホリングワースさんは、「まず新聞を眺めて、『一番危険な場所はどこ?』と聞くでしょうね。いい記事になるから」と答えていた。

(英語記事 Obituary: Clare Hollingworth / Clare Hollingworth: British war correspondent dies aged 105)

提供元:http://www.bbc.com/japanese/38579636

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