2024年4月17日(水)

この熱き人々

2017年1月20日

 ウイスキーづくりにかかわって40年余り。日本産ウイスキーの水準を、世界に評価されるまでに押し上げた。長い年月をかけ磨き上げてきた感性と精緻なブレンド技術を生かし、新たな発想でウイスキーの夢を追う。

 京都駅から京都線に乗り山崎駅に降りると、目の前に千利休が作った現存唯一の茶室である国宝の待庵(たいあん)がある。羽柴秀吉が山崎の戦いを繰り広げていた頃に思いを馳せながら、今やすっかり住宅街になった生活道路を歩いて7、8分。サントリー山崎蒸溜所は背後の天王山とそれに連なる山並みに抱かれるように、緑の中に90余年の歴史を生きていた。

 中に入ると、工場見学やテイスティング中の観光客が多いのに驚く。欧米人の姿が目立つ見学ツアーは、現在、平日は一日5回、土日と祝日は7回。それでも捌(さば)ききれないほどの人が訪れるという。

 「感無量ですね。日本でもウイスキーを作っているの? と言われた時代も、どんな努力も通じなくて酒場からウイスキーが消えて、水割りというと焼酎が出てきた冬の時代も長かったですから。ただ、『おいしいね』という現在の評価は、過去の人たちへの評価なんですよ。原酒ができて、樽に詰めて、長い貯蔵のすべての過程でかかわった人たちの懸命な努力と挑戦があってのことですから。今生まれた原酒の評価は、10数年の時を隔てた次世代に委ねられるのがウイスキーなんです」

 チーフブレンダーとして、ブレンデッドウイスキーの最高峰と評された「響(ひびき)30年」などで日本のウイスキーに数々の栄誉をもたらした輿水精一は、そう言って目を細めた。自然や風土までも抱き込みながら人知を超えて熟成していくウイスキーの不思議さを知り尽くしているゆえの謙虚さが、人柄にもにじみ出ている。

 どんな状況下でも、どんなに時代の風が冷たくても、気の長い挑戦を続けなければ未来への道が閉ざされてしまうのがウイスキーの宿命。黙々とたゆまぬ努力を続けてきたジャパニーズ・ウイスキーは、今やスコッチ、アイリッシュ、カナディアン、アメリカンに並ぶ勢いで、世界の5大ウイスキーの座をゆるぎないものにしている。そして、輿水は2015年には、ウイスキー業界の功労者を称える「ホール・オブ・フェイム」を受賞。日本人で初めて世界の殿堂入りという快挙をはたしているのである。

進化した日本ウイスキー

 世界が日本のウイスキーを求め、日本でも再びウイスキーブームが生まれて、現在は一部のジャパニーズウイスキーで品薄状態が続いている。いくら需要があっても一気に増産というわけにはいかないのも、年月を溶け込ませて生まれるウイスキーの宿命なのである。

 「日本ほどいろいろな形でウイスキーを楽しむ国はないんですよね。ストレート、ロック、水割り、ソーダ割り、お湯割り……高温多湿の日本の夏は、氷を入れて冷たさやすっきり感を求める。日本酒やワインのようにそのまま楽しむ酒と違って、ウイスキーは飲む方がそれぞれひと手間加える。最終段階はお客さまにおまかせ、みたいなわけです」


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