この熱き人々

2017年1月20日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

「仕込から熟成まで、かかわったすべての人たちの努力と挑戦で、ウイスキーの味が決まります」

 「普通の科学研究と違って、わけがわからないというか謎が多いんです。貯蔵は、なんでこうなるんだろうというブラックボックスみたい。手探りで何が起きているのか見極める感じです。貯蔵庫がどういう場所なのか現場で肌を通して感じないとダメ。窓から光の射し込む場所の樽はちょっと違う熟成の仕方をするとか、熟成の遅い場所と早い場所を把握して、貯蔵庫の中で位置を変えてやる。樽や時間が何かしてくれるとはいえ、ほったらかしていたらいい酒にはなれない。手をかけて過保護なほどウイスキーはよくなるんです」

 研究所、貯蔵部門を経た輿水が、ブレンダー室への異動を命じられたのは41歳の時である。想像もしていなかった異動先だったという。

 「当時、ブレンダー室への配属は30代前半が多かった。僕はもう40歳過ぎていたし、びっくりですよね。貯蔵部門では常にブレンダーからの指示を受けて仕事をしていたので、熟成中の樽のチェック、ブレンドのレシピ作りなど、ブレンダーの仕事はわかってはいたんですけど、まさか自分がそこにかかわるとは思ってもいませんでした」

 遅れてきたブレンダーは、まず基本の鼻と舌を育てていくしかない。先輩に張り付いて先輩の言葉に自分の感覚を合わせていく。毎日、午前中は指定した樽や瓶から集められた数百種類もの原酒や製品のテイスティング。本来あってはならない香りや味がついていないか、つまり異常がないかのチェック。さらに「響」なら「響」の特徴がしっかり出せているかの確認。

 「とにかく自分の物差しをしっかり作らなければならない。自分という軸が固まってないと、声の大きい人の評価や権威ある人の声に引っ張られてしまう。それに、もし僕の感覚がどこかでズレているらしいと気づいた時も、自分の物差しが確かなら修正できますから」

 その物差しは、どうやったらできるのか。ひたすら数をこなすのか。物差しがない素人がテイスティングの真似事をしても、3つ目くらいからみんな同じに思えてしまう。そして人の感想に同調してしまう。

 「ブレンダーのテイスティング能力は、数こなして徐々に上がっていくものじゃないんですね。ある日、急に同じサンプルから違うものが見えてくる。先輩が言っていたことの意味がそれまでと違う深さで、こういうことだったのかとわかる。ぼーっとしていたものの輪郭がはっきりする。そんな瞬間があるんです。階段を1歩上がれたって感覚ですね」

 物差しが自分の中にできたら、それを常に一定に保たなければいけない。1本目と100本目で違っては困る。輿水は、テイスティングの時のブレンダーはセンサーであり機械でなければいけないと言う。人間が機械に徹するというのはなかなかむずかしいことである。

 常に自分のコンディションを一定に保つために、輿水は厳しく自分を律する生活をしてきた。朝は毎日、パン1切れとヨーグルト。昼は社員食堂の天ぷらうどん。刺激の強い食べ物は口にせず、好きなウイスキーも夜9時まで。量も2、3杯まで。風邪をひかないように細心の注意を払い、味覚・嗅覚にはストレスが大敵なので、なるべく穏やかな精神状態を保つように努める。

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