万葉から吹く風

2010年5月1日

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東 茂美

1953年、佐賀県伊万里市生まれ。成城大学大学院博士課程修了。文学博士。福岡女学院大学教授。著書に『東アジア万葉新風景』(西日本新聞社)、『山上憶良の研究』(翰林書房)などがある。

角島〔つのしま〕の迫門〔せと〕の稚海藻〔わかめ〕は人のむた
荒かりしかどわがむたは和海藻〔にぎめ〕
                                       
                (巻16-3871)

photo:井上博道

 「角島」は山口県下関市豊北町〔ほうほくちょう〕の西北端にある島。山陰本線を下関からのんびり北上し、特牛で下車。地元の住民をのぞけば、駅名をまともに読めるひとはあまりいないだろう。「こっとい」。万葉集にうたわれる「牡牛〔ことひのうし〕」(巻16-3838)とおなじで、去勢していない力強い雄牛のことをいう。角島の名も、海上に2本のツノが出ているように見えるところから。あわせて、『延喜式』には「角島牛牧」の記事があって、島内ではさかんに官牧がおこなわれていたらしい。

 10年ほど前までは、この特牛の港から角島へ渡船の「角島丸」が出ていたが、近くの神田と島の瀬崎とのあいだに大橋が架かり、惜しまれながら退役した。角島は周囲17キロ、半時間もあれば車でぐるりと1周できるほど。いまや島内に住むひとは900人たらずで、中学校は統廃合されてしまったし、小学校の児童たちも少なくなって、すっかり校庭もさびしくなった。それでも、島の緑と海の青は、やっぱり、どこどこまでも美しい。

 こののどかな小さな島でうまれたのが、冒頭の島歌だ。「角島の瀬戸のワカメは他人には荒々しくて寄せつけないけれど、おいらにゃなびくやわらかいニギメだよ」の意味。稚海藻〔わかめ〕に若女〔わかめ〕を和海藻〔にぎめ〕に和女〔にぎめ〕をたとえた、浜の男の〈のろけ歌〉である。ワカメをとる白水郎〔あま〕たちの労働歌としてうたわれたのだろう。

 しかし、角島でうたわれていた労働歌が、地方官によって採歌され、万葉集にのこったのではあるまい。平城京跡出土の木簡に「長門国豊浦郡都濃嶋〔つのしま〕所出穉海藻天平18(746)年3月29日」とあって、角島のワカメは平城京まで運ばれていた。いわば長門国のブランド品だったわけだ。

 こうしてみると、島歌は、調〔みつき〕ものにする角島ブランドとともに都に伝えられ、ひろく知られていたと考えたほうがいい。うまいワカメがそだつ海、それが響灘〔ひびきなだ〕なのだ。いや、それだけではない。

 周知のように、海や灘にかかる枕詞は、クジラを捕る意の「いさなとり」。平成10(1998)年、その「いさな」の新種がこの角島で発見された。ナガスクジラ属の小型鯨で、ずばり名付けてツノシマクジラ(学名オームライ)。沖合75キロあまり西には、海の女神をまつる沖ノ島がある。その沖ノ島を遥拝〔ようはい〕しながら、「いさな」がゆうゆうとあそぶ角島沖──陽光あふれる5月の海面〔うみづら〕に、雄姿がちらりと見えたような……。

◆ 「ひととき」2010年5月号より

 


 

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