2024年4月20日(土)

前向きに読み解く経済の裏側

2017年2月6日

 それで顧客が逃げるとすれば問題ですが、そうとは限りません。会計監査を依頼する企業としては、監査が緩い方が有り難いからです。「あの監査法人は無能だから、監査を依頼するのはやめよう」という企業よりも、「細かいことまで根掘り葉掘り聞いてくる監査法人は面倒だから、あの緩そうな監査法人に頼もう」という会社の方が多いかもしれません。

 問題があるとすれば、多くの投資家が「あの監査法人は信頼出来ないから、あの監査法人が監査している会社の株は買うのをやめよう」と考えた場合に、顧客企業が「そういうワケなので、御社に監査をお願いすることはできない」と言ってくる可能性ですが、そうした可能性は決して大きくないでしょう。

日本の刑罰は、社会的制裁を考慮しているので、一般に甘い

 筆者は大学時代、法学入門で「殺し6年」という言葉を習いました。人を一人殺しても、初犯なら平均懲役6年だ、という話だったと記憶しています。今はもう少し長いようですが、それにしても、「眼には眼を、死には死を」でない理由を聞きたくなってしまうほどです。

 殺人以外でも、一般に日本では罪を犯しても刑罰は比較的軽めです。筆者なりに解釈すれば、それは「社会的な制裁を受けているから」ということになります。罪を犯せば、懲役刑が辛いことは勿論ですが、社会的に信用を失い、後ろ指を指されて一生暮らす事になりかねません。本人ばかりでなく、家族も大変辛い思いをして生きて行くことになりかねません。そうしたことを考慮すると、「刑罰自体が軽くても充分罪は償われている」と解釈することも可能でしょう。

 実際、過去の粉飾決算も、厳罰に処せられたケースは稀でしょう(検察と全面対決する姿勢を見せた場合は例外のようですが)。その点、他の犯罪と特に異なるものではありません。

 しかし、社会的制裁の例外となり得るのが粉飾決算なのです。粉飾決算の犯人は、「会社のために止むを得ず行なったのだ。俺がやらなければ会社は潰れていたのだから、俺は会社を救った英雄だ」といったつもりでいるのでしょう。そして周囲も、「会社のためにやむをえずやったことだ。私腹を肥やしたわけでもないのだから、厳しく糾弾するのは可哀想だ」といった捉え方をします。


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