赤坂英一の野球丸

2017年2月14日

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赤坂英一 (あかさか・えいいち)

スポーツライター

1963年、広島県生まれ。86年に法政大学文学部卒業後、日刊現代に入社。88年より、スポーツ編集部でプロ野球取材を担当。同社勤務のかたわら週刊誌、月刊誌で、スポーツを中心に人物ノンフィクションを多数執筆してきた。最新刊『すごい!広島カープ 蘇る赤ヘル』(PHP文庫、『広島カープ論』増補改訂版)が重版出来で2万部突破。ノンフィクション『失われた甲子園記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞にノミネートされた。ほかに『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』(講談社)『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』(講談社)『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)など。

 昨季25年ぶりに優勝した広島の日南キャンプ、堂林翔太の外野コンバートがひとつの焦点となっている。かつては中京大中京高のエース兼主砲として甲子園を沸かせ、2009年秋のドラフト2位でプロ入りしたスターも今年ですでに8年目。これまでサード定着を期待されながら攻守ともに伸び悩み、この2年間ほとんど二軍暮らしが続いている。

広島のキャンプが行われる日南天福球場

 ここまで脱皮できなかったのは、打撃フォームが安定しないことに加えて、内野守備における送球イップスにも一因があるという。そこで、緒方孝市監督ら首脳陣が堂林の外野固定を決断。今季は守備で少々ミスをしても目をつむって、高校時代のようにノビノビとバットを振らせてやろう、と考えたわけだ。

 キャンプ序盤の2月3日、その堂林が4年連続ゴールデングラブ賞の丸佳浩、内野手が本職の安部友裕とともに、外野の特守に参加した。河田雄祐外野守備走塁コーチがノックする打球を追う姿は、やはりいかにもぎごちない。まだ的確な打球の判断ができない上、落下地点に入ってもポロリとやってしまう。

 そうした中で大声を出し、この地味な練習を盛り上げていたのが安部だ。丸がうっかり打球をこぼすと、河田コーチに向かって「丸が慢心してます! 慢心です、慢心! 4年連続ゴールデングラブ賞を獲ったもんだからすっかりたるんでます!」と絶叫。これには河田コーチや丸、堂林に加え、東光寺球場のスタンドで見守っていたファンも吹き出していた。厳しい練習の最中にもこんな毒のある冗談が飛び交うところが広島ならではだ。

 1980〜90年代の黄金時代に活躍した主力選手は、いつも冗談半分ではなくケンカ腰でツノ突き合っていたものだ。とくにショートの高橋慶彦さんは、エースだった北別府学さんや正捕手の達川光男さん(現ソフトバンク・ヘッドコーチ)と仲が悪く、ふだん口も利かない間柄だったという。そんな選手たちと同時代に広島で活躍、常に神経をすり減らしていたのが、現在宮崎市内で広島風お好み焼き屋〈かたおか〉を営む片岡光宏さんである。

 片岡さんは広島県府中市出身、私より1歳年上の54歳で、1979年秋のドラフト1位で府中東高から広島に入団。プロ入り後に投手から野手にコンバートされ、短期間ながらも内野で主力を張り、87年にはカープの第36代4番を打った。当時、サードのレギュラーだった小早川毅彦さんが故障などで欠場すると、片岡さんがサードを守った。北別府さんが投げていて走者を出し、マウンド上でゲッツー体勢の打ち合わせをしなければならないのに、慶彦さん、北別府さん、達川さんらは互いに口を利こうとしない。そこで仕方なく片岡さんが伝達役を務め、かろうじてピンチを切り抜けたこともあったそうだ。

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