東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年5月11日

石原 もちろん任天堂はゲーム機を開発して売り、わたしたちはポケモンというソフトを売っているので、相乗効果が出ます。開発スケジュールがずれたりして、食い違いが起きることもたまにはあるものの、総じて、ポケモンを長く育てて売っていこうという任天堂の姿勢にも助けられました。 

司会 任天堂経営陣とのご関係は? 

石原 岩田聡(さとる)現社長との付き合いは随分と長いですね。 

 任天堂のためゲームソフトをプログラムする仕事を、岩田さんは随分と長いことやられていたのですが、2000年に任天堂に入られたかと思ったら、さらに大きく改革し、2002年に社長に就任されました。わたしはその一連の流れをいつも拝見し、一緒に歩んできたという気持ちが、岩田さんについてはありますね。

「子供の楽園」という日本の伝統

浜野 明治維新の頃、お雇い外国人が大勢来て、日本をいろいろ観察してますが、そのうち非常に多くの人たちが、同じことに感心しています。
それはつまり、子供をこんなに大事にし、時には甘やかしている国はほかにないし、また子供の遊びがこれほどたくさんあって、そのため大人たちも懸命にノウハウや金を注ぎ込んでいる。そんな国も、日本以外ではない、と言っているんです。「日本は子供の天国だ」とね。モース、オールコックといった人たちが。

 子供を遊ばせるために、いい大人がものすごく努力する。そこから任天堂も、ポケモンも生まれたような気がします。文化の底流は変わっていない。
このごろでは海外でも知られてきた日本のいわゆる「かわいい」文化も、根はそこでしょう。そして、ディズニーと違う点もまたその辺かなと思うのですが、石原さんは、ディズニーを意識したことないんですか。

石原 まったくないですね(笑)。

(つづきはこちら
                (司会・構成=谷口智彦 明治大学国際日本学部客員教授)
石原恒和(いしはら・つねかず)
株式会社ポケモン 代表取締役社長・CEO
1957年 三重県生まれ。1983年 筑波大学大学院芸術研究科修了。
ゲームプロデューサーとして数々のゲームソフト開発に携わり、1995年に株式会社クリーチャーズ設立。1996年、ポケモンのゲームソフト第1作目とな る『ポケットモンスター 赤・緑』をプロデュース、その後、ポケモンソフト全作品にプロデューサーとして携わる。1998年、ポケモンセンター株式会社(現・株式会社ポケモン)設 立と同時に代表取締役社長に就任。           
現在は、株式会社ポケモン 代表取締役社長・CEOとして、ゲーム、カードゲーム、テレビアニメ、劇場映画など、ポケモン全体のブランドマネジメントを手がける。

[特集] 映画、アニメ、ゲーム…日本のソフトパワーは健在か?

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