この熱き人々

2017年2月24日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「根津松本」と聞くと、超高級魚だけを扱っているから超高価で、客は富裕層だけなんでしょと言う人が多い。確かに、ベニザケの切り身が1切れ1200円、ブリの切り身が2000円、アジが1尾1500円と聞くと思わずのけぞりそうになるが、ぷっくりしたマイワシの3尾1連の目刺しは200円。ここの目刺しを食べたらほかの目刺しが食べられなくなったと、目刺し2連を大事そうに抱えて帰る人もいる。 

自信をもって選び抜いたその日最高の鮮魚たち

 「超高級魚の店っていうのとは、ちょっと違うんですよね。僕はそれぞれの魚の『一の線』が売りたいんです。イワシならイワシの一番いいもの。マグロならこれ以上はないマグロ。サンマの干物も最高のもの。どんな魚でも自分がこれこそが一番と信じているものだけを売りたい。サバのおいしいのを食べたいんだけど、そういうのは高級な寿司屋や料亭に行かないと食べられないんだよねというお客さんに、本当においしいサバを食べてもらいたいんです」

魚を見極める力をつける

 松本は、河岸で箱買いは決してしないのだという。1尾ずつ選んで買う。箱で買えば割安になるが、ひと箱全部が松本の眼鏡にかなうわけではない。積み上がった発泡スチロールの山のふたを全部開けて、ひと箱ずつ手で触って身のしまりや脂の乗りを確認していく。

「今では、仲買の人があらかじめ選抜チームをつくっておいてくれるようになりましたね。触った瞬間に内臓の具合までわかります。医者の触診みたいなものですかね。仕入れは勝負なんです。外側から内側を判断できるようになるには、失敗も含めた経験を積むことで感触をつかんでいくしかないんです。たとえば身の水分量が多くて脂肪が少ないカマスは、目利きがむずかしい。カマスのポイントは腹の硬さと背中の厚み。太刀魚は背びれの下のところがグワッと盛り上がっているもの。太刀というよりこん棒みたいで、腹の厚さも普通のより二倍くらいあるものを見つけると、うれしくなってどんなに高くても一目散に買っちゃいます。これは僕のところに来るべきだ! ほかに行かせたくない! 連れて帰りたい! って思っちゃう。仕入れてから怖くはなるんですけどね」

 もう魚への愛が止まらない。その熱意にほだされるように、今でこそ仲買の業者は松本のためにいい魚を選んでおいてくれるまでになったが、松本が独立してこの地に店を出した10年前は、買いたいと思っても売ってもらえない日々が続いたという。

 「このマグロが欲しいのか? お前にこれがわかるのか? 使えるのか? あっちもこっちもこれを欲しいんだよ。何でお前に売らなきゃいけないんだよ、って言われましたね」
 
 何でお前なんだという仲買の問いに答えるには、その魚を使える人間で、売る価値がある相手だと納得してもらわなければならない。いったいどうやってこの高くて難しいハードルを越えることができたのか。開店当時の松本は35歳である。

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