この熱き人々

2017年2月24日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 ここで松本の第2ステージが始まった。河岸に行っても、店の看板があるから買いたいものが買える。7年ほど働いて蓄えた力を発揮して、デパートの鮮魚売り場の店長に。そこで魚を見抜く目をさらに鍛え、愛読する婦人雑誌で美的な感性を培い、給料が入ると一流の店に食べに行く。

 「本当においしい魚を食べるには高いところに行かなきゃならない。お金ないから、『1万円しかないんです、勉強させてください』とお願いすると、『いいよ』って、いろいろ教えてくれました。ありがたかったです」

 ある日、だれもが知る高級寿司店で食べたサヨリの握りが、少し歯にまとわりつくようなねっとり感があって、甘味も感じられ最高においしかった。サヨリそのものは自分が扱っているものと同程度なのに、何でこっちのほうがおいしいのだろうと思った。

 「魔法みたいでした。で、どんな技を使っているのか親方に聞いたんです。そうしたら、ひと塩あてるんだと教えてくれた。ちょっと塩を振り、水分が抜けてきた時にふき取ると、味も食感も変わる。塩で甘くなる。不思議ですよね」

 てっぺんの魚をよりおいしく食べるために、日々勉強。頭の中は、いつも魚のことでいっぱいらしい。とにかく魚が大好き。本当においしい魚の味を知ってもらいたい。そのためには何でもする。念願がかなって魚屋を開業してからは、朝5時に河岸に出てから閉店の7時までの14時間、松本は立ちっぱなしで働き、食事もとらない。

生臭さの一切ない清々しい店内。ショーケースには丁寧に仕込まれた商品が並ぶ

 時代の逆風にさらされ消えそうな魚屋に挑戦し、デフレの時代でも安さに向かわず、てっぺんの魚にこだわり続けてきた。しょせん庶民には縁のない店と思っていたけれど、話を聞くうちに、手の届かない高級店だけに流れ市井の人々から奪われてしまった一の線の魚を取り戻して、縁を繋いでくれている店なのかもしれないと思えてきた。

 ベニザケ1200円を1切れ、買って帰った。やはり、あだやおろそかには扱えない。丁寧に焼いて、丁寧に味わった。これまで食べてきたベニザケと明らかに違うと私でもわかる。ご飯までもいつもよりおいしく感じられた。そして、1カ月に1回でもいいから、またこの味に会いたくなってきている。

(写真・石塚定人)

まつもと ひでき/1971年、北海道生まれ。鮮魚店を営む家に生まれる。高校卒業後、俳優をめざし上京、その後、魚を扱う仕事の魅力に目覚め、東京の高級鮮魚店勤務などを経て、2006年に「根津松本」を開業。築地市場の最高品質にこだわった魚を売る店として評判を呼んでいる。

  
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◆「ひととき」2017年2月号より

 

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