チャイナ・ウォッチャーの視点

2010年5月19日

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富坂 聰 (とみさか・さとし)

ジャーナリスト

1964年、愛知県生まれ。北京大学中文系に留学したのち、豊富な人脈を活かした中国のインサイドリポートを続ける。著書に『苛立つ中国』(文春文庫)、『中国という大難』(新潮社)、『中国官僚覆面座談会』(小学館)、『ルポ 中国「欲望大国」』(小学館新書)、『中国報道の「裏」を読め!』(講談社)、『平成海防論 国難は海からやってくる』(新潮社)、『中国の地下経済』(文春新書)、『チャイニーズ・パズル―地方から読み解く中国・習近平体制』(ウェッジ)などがある。

 上海万国博覧会が開幕して間もなく、世界の注目が南部に集まるのを見越したように中朝国境を越えた列車があった。北朝鮮の金正日国防委員長(朝鮮労働党総書記=以下、総書記)を乗せた専用列車である。

金正日総書記は慌てて訪中を決めたのか?

 世界中のメディアが訪中の動向を伝え始めたのは、列車が国境を越える前日からのことで、相変わらず北朝鮮の秘密主義がクローズアップされることとなった。それだけに電撃訪中との印象が否めず、日本のメディアでは訪中のタイミングを巡って政治的意図を探る動きが高まった。なかでも最も多く聞かれた解説が、「3月下旬に起きた韓国哨戒艦沈没事件に北朝鮮が関与しているとの国際世論が高まったことで、中国に対して説明する必要が生じたので、慌てて訪中を決めた」というものだ。

 だが、この解説は少なくとも二つの意味で正しくはない。一つは、金総書記の訪中は突然決まったのではなく、あくまで中朝両国が09年を「中朝友好年」と定めた流れの中で決まっていたという理由だ。そしてもう一つは、たとえ哨戒艦の破壊が北朝鮮の手によるものであったと判明しても、北朝鮮は中国に対し説明をする意思はもたないだろうし、中国もまた積極的にこの問題に関与し、北朝鮮に何らかの行動をとるとは考えにくいという理由からだ。

訪中に向けた最高レベルの警備体制

 第一の理由に関しては、昨年10月の温家宝首相の訪朝に対して金総書記が訪中することは、トップの往来によって中朝友好年を締めくくるという意味を持ったものだった。つまり、本来なら金総書記訪中は今年の2月(旧正月前)までに終わっていなければならなかったのである。

 「そのため中国東北部の警備担当者たちは、昨年末からずっと、いつでも最高レベルの警備体制に入れるように命じられていた」(武装警察関係者)というのだ。

中朝間で繰り広げられたせめぎあい

 この訪中が遅れてしまったのは、言うまでもなく中国と北朝鮮との間の条件が折り合わなかったためである。中国側は、自ら大きな外交的成果と位置付ける6カ国協議の議長国として会議への再参加を北朝鮮に求め、北朝鮮側はそうした条件には応じられないとしながらも、中国からの援助は引き出そうとしたと伝えられる。

 結局、友好年での往来を断念した中朝双方は、年が明けてからさらに厳しく条件を詰める作業に入った。2月末には朝鮮労働党の金永日国際部長が中国に入り、訪中に向けた話し合いを行っているのだが、「これは金が北京に11日間も滞在するという異例の交渉となった」(中国外交筋)というほどタフな攻防だったとされる。

「時代錯誤の応対はやめたら?」  李克強の衝撃発言

 最終的に両者は、北朝鮮が6カ国協議に戻る〝意思〟を示すということで妥結し、金総書記の訪中に至るのだが、この過程では中国の対北朝鮮外交に対する根本的な見直しの声が中央指導部の中からも上がったというから驚きである。

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