定年バックパッカー海外放浪記

2017年3月20日

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高野凌 (たかの りょう)

定年バックパッカー

1953年生まれの62歳。横浜生まれ、神奈川県出身。大学卒業後は商社、メーカー勤務を経て2013年定年退職。2014年春から海外放浪生活を始める。放浪歴は地中海、韓国、インドシナ半島、インドネシア、サンチアゴ巡礼など。サラリーマン時代は主として海外業務に従事。ニューヨーク、テヘラン、北京にて海外駐在を経験。身長170センチ、57キロ。獅子座。A型。現在2人のご子息は独立し、夫人との2人暮らし。孫1人。

アリゾナ州のスーパーハイウェイ

アリゾナ州のバターン・メモリアル・ハイウェイ。ホワイトサンド国立公園へ向かう途上にて

 4月22日 アリゾナ州のホワイト・サンド国立公園に向かっていた。このあたりは砂漠地帯であり軍事基地が多い。White Sands Missile Range(ホワイト・サンド ミサイル演習場)という看板が見えてきた。

 砂漠地帯であり交通量は少ないが片道二車線の快適なハイウェイが地平線まで続いている。整備も行き届いているところを見ると軍用道路なのであろう。ふとハイウェイ脇の標識を見ると『Bataan Memorial Highway』とある。“バターン(Battan)死の行進”を忘れないという意味でこのハイウェイの名称としたのであろう。

 太平洋戦争中の1942年にフィリピンのコレヒドール要塞を攻略した際にバターンで降伏した米軍・比軍捕虜を炎天下徒歩移動させる途中で米兵捕虜1000人以上、並びに相当数のフィリピン人が死亡したという事件である。日本人は忘れても米国ではハイウェイの名前として残されている。

小さな博物館のヒロシマ・ナガサキ

エノラ・ゲイ号と機長のポール・ティベッツ。原爆投下当時30歳で2007年に92才で死去。

 5月6日(金)。アリゾナのルート66旧道沿いの田舎町Kingmanの町営博物館で大恐慌から第二次大戦のコーナーの展示物でエノラ・ゲイ号の写真が目を引いた。広島へ原爆投下した“空の要塞”と言われたB29爆撃機だ。原爆投下命令書のコピーも展示されていた。当時Kingmanの郊外にエノラ・ゲイ号を含む米国陸軍戦略空軍の爆撃機が駐機していたのだ。

原爆投下命令書。1945年7月25日に発令。8月3日以降に天候次第で投下目標を広島、小倉、新潟、長崎 から選択して目視爆撃を命じている。そして原爆の効果を観察・記録するために軍・民間の科学者を搭乗させることも指示

 戦勝国アメリカでは今日でも原爆投下を正当化する世論が支配的だ。戦勝国は戦争に関しては永遠に彼らに都合の良い解釈をするのは古今東西変わらない。Kingmanの人々は町の郊外から太平洋に移送された爆撃機が太平洋戦争終結の決定的使命を果たしたことを素朴に誇りに思っているのであろう。

Kingmanの町の郊外に並ぶ陸軍戦略空軍の爆撃機。すざましい工業力、物量に圧倒される

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