2024年4月18日(木)

Wedge REPORT

2010年5月25日

 かくも危機的な状況にもかかわらず、日本のメディアは、この問題の実像をほとんど報じていない。他方、総選挙で大敗した自民党は全く機能しなくなり、国会でも十分な議論がなされず、与党である民主党議員に至っては完全に口をつぐんだままである。こちらは議会制民主主義のかつてない深刻な危機といえる。とりわけ国家の礎たる財政や外交・安全保障がこれほどの危機に陥り、日本の重大な国益が危殆に瀕しているのに、野党は崩れ、与党議員は誰もモノを言わない。これは、鳴り物入りで唱えられた「二大政党制」が、今の日本では全く機能しないことを示している。「政権交代でこの国はよくなる」という国民の期待を受けて誕生した政権がこの体たらくであり、日本の政治はきわめて深刻な漂流の中にある――それも滝壺のすぐそばで。

日本の政治漂流を
もたらした「改革」

 日本は、なぜこのような「底ぬけ」の危機にまで陥ってしまったのか。そもそも政権交代のたびに、一方の政党が崩壊状態になり、前政権の支持団体の多くが新しい政権党に雪崩を打ってスリ寄るような政治風土では、二大政党制は成り立たない。しかも、議員の大半が自己保身だけを目的に口をつぐみ、あるいは「新党づくり」に奔走するような、政治倫理の喪失が進行している現代の日本では、「政治改革」はほとんど不可能だと言うべきだろう。

 1988年のリクルート事件、92年の東京佐川急便事件を契機に、「政治とカネ」の問題を解決するためには「政治改革」が必要だとされた。「清潔な政治」を求めるのは当然のことだろう。しかしそのための「改革」として、なぜか小選挙区制の導入による二大政党制への移行が唱えられた。ところがそれは逆に、日本の政治を大きく混乱させ、バブル崩壊後の日本経済の長期低迷をもたらした。

 そもそも「政治とカネ」の問題に、「今現にある政治のシステムを全面的に変更する」ということをめざす「政治改革」が一体なぜ、必要だったのか。国民は本当のところ、いまだに誰も十分には理解していないはずだ。どうしても英国のマネをしたい、と言うのなら、まず1880年代に制定された英国の厳格な政治腐敗防止法のようなものを成立させてからにすべきであった。そうすれば、現在の鳩山首相や小沢一郎幹事長の疑惑事件も起こらなかったはずだ。これらの事件がいまだに後を絶たないということは、要するに90年代の初め、政治の浄化を目的に始まった「政治改革」がハナから失敗だったことを証しているのではないか。

 そもそも二大政党制がなぜ「好ましい」と日本人は感じたのだろう。それには「政権交代」が、それ自体、善である、という浅薄な思い込みがあったのではないか。近年、欧米を中心に、頻繁な政権交代によって経済成長戦略が「ぶつ切れ」になることは国家にとって大きなマイナスであるという議論が、力を増している。

 事実、英国の衰退が盛んに言われた70年代は、保守党と労働党が2~3年おきに政権交代をしていた。つまり、そもそも二大政党制がよい政治をもたらすのか、ということの答えは出ていないし、また、小選挙区制や政権交代が清潔な政治をもたらすのか、との問いに対しては、前述の小沢・鳩山事件だけでなく、「学校の先生が総ぐるみで選挙違反を行った」という北教組事件を見ても答えが出ている。よく検討もせず、思いつきで政治や選挙制度の根本を変えるという荒療治が行われ、その結果、政治腐敗はなくならず、地方で国全体に深刻な政治漂流をもたらしてしまったのである。


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