赤坂英一の野球丸

2017年3月20日

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赤坂英一 (あかさか・えいいち)

スポーツライター

1963年、広島県生まれ。86年に法政大学文学部卒業後、日刊現代に入社。88年より、スポーツ編集部でプロ野球取材を担当。同社勤務のかたわら週刊誌、月刊誌で、スポーツを中心に人物ノンフィクションを多数執筆してきた。最新刊『すごい!広島カープ 蘇る赤ヘル』(PHP文庫、『広島カープ論』増補改訂版)が重版出来で2万部突破。ノンフィクション『失われた甲子園記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞にノミネートされた。ほかに『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』(講談社)『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』(講談社)『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)など。

 WBCの台風の目となったイスラエルにも、ヤクルトとゆかりのある選手がいる。3番の長距離打者アイク・デービス。10年に入団したニューヨーク・メッツをはじめ6球団を渡り歩き、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んでいるスラッガーだ。

しっかり自分の力を出せば抑えられる

 アイク自身は日本でプレーしたことはないのだが、父親のロンは1989年のシーズン中に来日、短期間ながらヤクルトで抑え投手を務めた。当時、駆け出しの野球記者だった私のインタビューに「しっかり自分の力を出せば抑えられる」と自信のほどを語っていた。

 いまでも記憶に残っているのは、89年7月2日、神宮でのヤクルト−巨人戦である。4ー4の同点だった九回1死二、三塁という場面で、ロン・デービスが打席に迎えたのは当時6年目の川相昌弘(現巨人三軍監督)。この試合で2本塁打を打っていた川相に対し、藤田元司監督はカウント1ー1からスクイズのサインを出し、川相はこのバントを見事に成功させ、デービスから決勝点を挙げた。

 これは川相にとってこのシーズン19個目、通算35個目の犠打だった。翌日のスポーツ紙はこのスクイズを大きく報じ、スポニチは川相の写真を1面に掲載。ここから、川相といえばバントというイメージがファンの間に浸透し、のちに533個というメジャーリーグをしのぐ世界記録の達成につながる。アイクの父親ロンは、そのきっかけをつくった投手だったのだ。当時2歳だったアイクには日本での記憶はほとんどないようだが。

 なお、川相は巨人のヘッドコーチだった14〜15年、一向に調子の上がらないセペダをよく励ましていた。WBCの背景にもまた、悲喜こもごもの因縁とドラマがあった。

  
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