百年レストラン 「ひととき」より

2017年4月11日

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菊地武顕 (きくち・たけあき)

1962年、宮城県生まれ。編集者・記者。「E
mma」「女性自身」「週刊文春」「週刊朝日」と、25年以上にわたって週刊誌編集部で働く。著書に『あのメニューが生まれた店』(平凡社)。編書に「日本全国 おいしいものお取り寄せ」(文春文庫)。

 

従業員から「若旦那さん」と親しまれる正敏さん

 「食べ方とか順番とか、決まりなんてない。好きなように食べてもらえればいいんです」

 東京・日本橋の「吉野鮨本店」5代目店主の吉野正敏さんは、「うちの店は自由だ」と強調する。鮨はタネに煮きり醤油を付けて供するが「お好みで、醤油を付けて食べても構いませんよ」

 140年近い歴史を誇る老舗であり、巨大な杉の1枚板のカウンターが美しい。ともすれば客が萎縮してしまいがちだが、この店では誰もが大らかな気持ちで鮨を食べることができる。歴代店主の人柄や、胸に抱く”鮨哲学”が醸し出す雰囲気ゆえだろう。

 「今はグルメの時代といいますか、いろいろと語る人が多いでしょう。食べ方を決め付けて、ああしないといけない、こういうのは駄目だとかって。でも、食べる本人が美味しく感じられるのが一番いいわけです。うちは、頼み方も自由。まあ時々、トロだけ食べて帰るという人もいて、そんな時には『他のも食べて欲しい』と思いますけどね(苦笑)」

ビルの1階にある。敷居の高さを感じさせない入り口だ

 トロだけ食べて帰る人は、同店をトロの「聖地」だと感じているのかもしれない。というのもトロ握りは、大正8年(1919)頃に、ここで誕生したからだ。

 その経緯については、4代目の正二郎(しょうじろう)さんが、江戸っ子らしい歯切れの良い口調で説明してくれた。

 「明治や大正の頃までは、お刺身といえば平目か鯛ですよ。魚というのは透き通っていなければいかん、と。色のついたのは、下魚とされていた。例外は鰹(かつお)だけ。鮪(まぐろ)も蔑(さげす)まれていた。小伝馬町(こでんまちょう)の恵比須鮨という屋台が初めて鮪を握ったといわれるけど、それは脂のない赤身を醤油に漬けて出したんです。昔の日本人は、脂っこいのを嫌っていたからね」

 脂の多い部位は、一膳飯屋と呼ばれる大衆食堂で、臭い消しの葱(ねぎ)と共にネギマ鍋にして出されていたという。

伝統的なタネの鮨。前列左から、春子300円、小肌300円、煮蛤600円。
後列左から、玉子朧入り300円、煮烏賊300円、浅蜊の掴み漬け300円。煮たタネに用いられるツメは、あまり甘くない 

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