2024年4月24日(水)

個人美術館ものがたり

2010年6月18日

 見ていきながらついつい目を引かれたのは、絵の額縁だ。絵を買った人が特注で造り上げたような、味わいのあるものがいくつかあった。額縁は画家があつらえる場合もあるが、恐らく絵を買った人のセンスであつらえるのではないかと想像する。といっても絵と額の関係はどうなっているのか、本当のところはよくわからない。絵とはまったく不釣合いな、ただのきんきらなお座なりの額縁をよく見かける。でもここでは、よく吟味された落着いた額縁が多く使われている。ブラックの絵だったと思うが、染みの入った竹をうまく組合わせたものなど、額も含めて絵に対する愛着を感じさせてくれる。

 これはひょっとして、この美術館の主〔あるじ〕の好みで造らせたものだろうか。絵の蒐集家は趣味人が多く、お茶をやったり、家の造作に凝ったりする。だから買った絵の額縁にもこだわったのではないか。そう思って美術館の人に尋ねると、まったくそれはなかったという。主の喜多才治郎氏は額縁など外側には興味がなく、とにかく絵だけを見て、自分で「これは」と思うものを買ったということなのだ。ちょっと意外だった。先祖から残る古美術に魅せられての趣味はあったが、自分で描いたり造ったりはなかったそうだ。

 創立者である才治郎氏は大正の生れだった。喜多家は300年もつづいた大庄屋だが、才治郎氏は若いころから病弱で仕事にもつけなかった。人と交わることも苦手なので、いつの間にか独りで絵を見て楽しむようになったという。買い求めた最初の絵が佐伯祐三の「食料品店」だというのは、聞いていてこちらの気持にもぴたりと来た。それを欲しいと思う気持が、その油絵一点から反射して伝わってくる。

 買うのはサザビーやクリスティーズのオークションだったそうだ。近代絵画の世界へ徐々に目が広がり、それがついには現代美術まで行ってしまうところが、ある意味、非常に純粋である。ずいぶんな冒険だったとも思う。次に進むと、ボイスとデュシャンの部屋があった。デュシャンはトランクの作品。自身の若いころの大ガラスや便器など、代表作をミニアチュールにしてトランクに詰めたもの。ボイスのは謎めいたインスタレーションを記録した写真作品や、スコップ実物のオリジナルなど、とても難解な一室となっている。もう一つの展示室にはHEINZ(ハインツ)のパッケージをいくつも並べたウォーホールの作品「TOMATO BOX」があり、啞然とした。これを現実に買ったとは……。

 美術館を建てたきっかけは、黴(かび)だそうだ。あるとき中村彝(つね)の油絵が必要になり、土蔵の中から出してみると黴が生えていた。それを知ったある画商に、せっかくの文化財なのだから公開されては……、と勧められた。場所は当初奈良市の方にも考えたが、自分の体が弱ったら通えないので、この自分の敷地内の田んぼを造成した。やはり近くに置いておきたい、というのがオーナーの愛着というものだろう。

 展示室はもう一つ、ざっくり造られた2階建新館もあり、そこではときどき新しい企画展も開かれる。さらに道を挟んだ向い側に昔の酒蔵を改装した建物がある。中には旧家に代々伝わる屏風や貝合わせなど工芸品が並ぶ。時代もまだ調べていないそうだが、かなり古い。やはり300年もつづく旧家には歴史が眠っているのだ。

 外に出ると、その眠った吐息のような空気が広がっていた。この辺りは本当に静かだ。それにしてもこの田園風景の一角に、棘のある現代美術が置かれているのは、やはり何とも不思議なことである。

(写真:川上尚見)

 

【喜多美術館】
〈住〉 奈良県桜井市金屋730  〈電〉0744(45)2849
http://www13.plala.or.jp/kita-museum/

喜多才治郎氏により1988年に開館。喜多家は300年以上も続く旧家で、所在地は自宅の裏にあたる。正門前は古代に整備された道路のひとつ「山の辺の道」が通り、すぐそばには「金屋の石仏」(重文)がある。図書室が設けられ、絵画と、現代美術が常設展示された本館、ボイスとデュシャンの部屋と名づけられた別館、企画展示用の新館、喜多家に伝わる東洋古美術品が展示された東洋美術館からなる。新館では大人を対象とした現代美術講座(月1回)、子供と大人のための絵画などの美術教室(月2回)も開催している。

〈開〉 10時~17時 *入館は16時30分まで
〈休〉 月曜と木曜(祝日の場合は翌日)、展示替え期間、年末年始、夏休み
〈料〉
 一般1,000円 小・中学生400円

◆ 「ひととき」2010年6月号より

 


 

 


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