2024年4月19日(金)

ペコペコ・サラリーマン哲学

2010年6月15日

 普通、社交ダンスの本を書いている人は、その踊りが超一流の先生ばかりですから、私が書くなんておこがましいことです。しかし、私は、「公民館ダンス」を世に広めて、多くの人たちに知ってほしかったし、日本人誰もが気軽に社交ダンスを踊るような社会にしたいと本気で熱く考えました。

 亀井君の趣味は唄を歌うことと絵を描くことで、絵の方は個展を開くほどの実力です。亀井君の場合はまさに忙中閑ありで、事務所へ帰って10分描いてまた外出、ということもあるそうです。政治や経済、金融、経営に比べ、絵を描くことは文化・文芸そのもので、うらやましい限りです。亀井君が絵画、私が社交ダンスという趣味を持てたために、本業で受けるストレスをかなり緩和できたように思えるのです。

 新しいことを始めるときは、ちょっとした躊躇や戸惑いがあります。私はいつもそうです。しかし、行動を起こさなければ何も起こりません。

 それに、いくつになっても、新しいことを始めるといいことがあります。それは、その世界では一番下になれるということです。

 年齢を重ねてそれなりの経験を重ねると、人間はついついいろんなものを引きずりがちです。現役のときにそれなりの地位にいた人であれば、なおさらでしょう。しかし、新しいことを始めたら、そうしたことは一切通用しません。誰もが同じ趣味を持つ一人ひとりの人間同士となります。一番下っ端で、教わる一辺倒で、進歩することができます。人間はどこかで、指導・注意される快感を味わっていたい動物なのです。お山の大将じゃあ、人生面白くありません。

ダンスと言うな!

 今73歳の私には、世界中で日本人が「ダンス、ダンス」と言わないようにしてほしいという強い希望があります。英語のBallroom Dance(社交ダンス)のダンス(dance)の発音は
dance [dæns] “デェンス” か
dance [dɑ:ns] “ダーンス” です。

 それを日本人が「ダンス」と言うと、外国人にはdunce [dʌns](のろま、劣等生の意味)と聞こえてしまいます。これを聞くとほとんどの外国人は軽く片目だけをつむり、両手の手のひらを上に向けつつ、両肩を少し上げます。これは言わば「さげすみのポーズ」です。いままで世界中で何百億回とこのことが繰り返されているのです。これで日本の文化、芸術、学芸、文明が、根本から世界中の人々にバカにされてしまいます。日本語から「ダンス」という言葉を追放し、「デェンス」と言うようにすべきであると提案します。亀井君の力も借りたいところです。

 先日、とても嬉しくなる記事を見ました。2010年5月7日の日本経済新聞(夕刊)、「中学校の保健体育――ダンス必修化――先生“冷や汗”練習」という記事です。ポイントは次の通りです。

●2年後(2011年度に完全実施され新しい学習指導要領で、現在はダンスと、柔道・剣道などの「武道」との選択方式であるのが、ダンス、武道とも必修化される。

●ダンスは、「創作ダンス」、「フォークダンス」、「現代的なリズムのダンス」から選ぶことになる(筆者注:社交ダンスもこの中に入ってくるので、毎年夏と秋に(財)日本ボールルームダンス連盟が開いている教育者向けの「社交ダンス講習会」も年々参加者が増加している)。

●創作ダンスなどの講習会を各地の教育委員会が開き始め、なかには恥ずかしいと言いつつも、自宅近くのダンス教室に通う教員も出てきている。

 私は、ついに日本人も「社交デェンス」を踊るのが恥ずかしくない時代がすぐ目の前に来たと、意を強くしています。


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