この熱き人々

2017年4月19日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 家族はプロにしようという意識は全くなかったようだが、それぞれの役割をうまい具合に果たして、それが井山の類まれな才能を見事に開花させている。本人が意識しなくても、石井九段が井山を弟子にした小学1年生の時が、プロ棋士への道のスタートラインだったことになる。そして師匠は、まだ幼い少年を見事に日本の囲碁界の至宝に育て上げた。

 弟子入りといっても、電車で2時間ほどかかる師匠の家まで、学校が終わってから通うのは無理。内弟子に入るのも無理。今でこそネット対局は当たり前だが、当時はネットも今ほど一般的ではない。

 「電話回線をつないでテレビゲームのように対局できるソフトを師匠が探してくれて、ハンデをもらって対局していただいていました。ハンデが減ると強くなれたんだと実感できてうれしかったです。師匠はあまり細かい注意はしないで、伸び伸びと元気いっぱい打ちなさいって。悪い手でも自分の頭で考えたなと思う手だと、あんまり怒らないんです。僕は、ああしなさい、こうしなさいって言われると、つい反発してしまうタイプなので、石井九段が師匠で本当に幸せでした」

 弟子が師匠と直接対局するのは、入門の時、プロ入り決定の時かプロになれなかった時の記念ぐらいで、生涯に2、3回と言われるが、井山は師匠と1000回以上は対局したという。

 

世界のトップを視野に

 少年少女囲碁大会2年連続制覇を皮切りに、12歳でプロデビュー。以降、最年少と史上初の記録の山を築いて順風満帆に見えるが、過去に2度大泣きしたことがあるという。

 1度目は、小学5年生の時に最年少プロ入りのかかった対局で敗れた時。

 「今振り返れば相手のほうが強かっただけのことなんですが、自分で勝てると思ってたんでしょうね。名古屋からの帰りに大泣きしながら、こんな悔しい思いは二度としたくないと思いました。小3の時に院生になって、それはプロを目指すことなのに、自分の中で自覚が足りなかったことに初めて気がついて、翌年は絶対プロになるって決意しました」

 最年少プロ入り記録は逃したが、この1年があったからこそプロとして戦える力をつけることができたと振り返る。

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