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2010年6月30日

 柔らかな笑顔を絶やさぬ塩沼阿闍梨は、伸びやかな人だ。両親の離婚などで貧しい少年時代だったと言うが、母や祖母、ご近所や学校の先生らにたくさんの愛情を注がれたのだろう、素直で健やかな人柄が感じられる。人と人がうまくいったら、みんなが幸せになれるという思いもここから来ているのだろうし、人柄が目標にまっすぐ向かう強さにも投影されている。

 その強さゆえに大自然の中の荒行を成したのだろうが、それほどの経験をする機会は、普通の人にはない。日常の中でも、気づきは得られるものだろうか。

 「みんなが千日回峰行をやったら、社会が成り立ちません。人それぞれに役割があるということだと思います。その役割を、どんな精神的、肉体的な状況でも、きちんとやる。それも立派な心の訓練です。でも今は、文明や科学技術が発達して、便利なものへと人間が走りすぎています。その基本中の基本に立ち返り、人としての基礎を身につけなければなりません」

 何ごとも飽きっぽく、同じことを繰り返すのは忌避されがち。日がな一日コツコツと泥臭くやっているより、きれいな景色が見えたらそっちに鞍替えするほうがスマートな生き方だとさえ思われているようだ。

 でも、繰り返すことではじめて、自分の欠点も成長も見えるのだろうし、自分のやれることとやれないこと、周囲が支えてくれていることにも気づくだろう。気づいたら、それを「ありがとう」といった言葉や行動で表せば、自分という人間は大きくなるし、人生もずっといいものになる。それが「心の訓練」ではないだろうか。仕事の楽しさだって、途中で投げ出しているうちは、わからないはずだ。

 そんなの、命がけの状況で繰り返したから気づくのさと言う人があるかもしれない。それなら、与えられた役割だから、単調な仕事だからと後ろ向きになっていないで、身を削るくらいやって、何かを得ようとしてみたらいいではないか。すべては自分の問題。渡り鳥みたいに生きていたら、大事なことに気づかない。

◆ 「WEDGE」2010年7月号



 

 

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