障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド

2017年4月26日

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初瀬:高校2年生で帰国して、その後、視覚障害者として初めて英検1級に合格し、その後、大学を受験されます。一般受験だったのですか?

田畑:いいえ、試験の文字の拡大と時間延長をしてもらいました。明治学院大の文学部英文科に進むことになりました。英語科の先生からは英語はできるんだから、政治か経済に行けと言われていたのですが、ハードルの高いものに進む勇気がなくて、得意な道を選んでしまい、今では少し後悔しているんです。

 国連などで働こうとしたら語学だけではだめなんですよ。できて当たり前ですからね。大学生になってからわかったのですが、高校生の頃はそこに思い至りませんでした。

 

初瀬:得意な分野や専門的な知識があって、それを活かすための語学ということですね。ところで、英語以外にも得意な語学があるとお聞きしていますが。

田畑:中学のころから英語以外にも興味があって、NHKのラジオ講座を聴いては、「フランス語っていいなぁ」なんて思いながら興味を覚え、それから先生についてフランス語を学びました。その他にはドイツ語、ロシア語、中国語なども勉強しました。

初瀬:田畑さんの集中力というか頑張りというか、本当に凄いと思うのですが、視覚障害者にとって言語系は合っている分野だと思うんです。日本人はまだまだ外国語に弱い人が多いですから、視覚障害者が何かひとつ身に着けるとすれば語学系がいいと思っていますし、様々な機会に勧めてもいます。

田畑:確かに視覚障害者には合っていると思います。身に着けるのに2つ要素が必要なのですが、一つは労力や時間をつぎ込む用意ができていること。すぐに結果が出なくても、来る日も来る日も努力できることが大切です。もう一つはコミュニケーションしたいという情熱です。

初瀬:労力を惜しまないことと話せるようになりたいという強い欲求ですね。それが大きなモチベーションになると。それは私のやっている柔道や他のスポーツにも通じることです。日々の練習では自分が強くなっているのかどうかわかりませんが、長い目でみれば明らかに成長しているのを実感します。人が何かを習得するのにこの二つは欠かせませんね。

 さて、大学で語学を学んで、就職活動はどうだったのですか?

田畑:大学の就職課に障害を持つ学生の就職をタスクのひとつとして持っている方がいたので、幸いにして数社受けて現在の会社に決まりました。

 多少英語が使えるということで、最初は主に事務センターでの電話対応でした。それも初歩的な会話だけだったので、その後異動して、英語で書かれた文章を読んで内容を確認したり、修正が必要ならば海外に問い合わせをするような仕事をしていました。

 そのあとも、引き続き語学が使える部署で働き続けることができています。

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初瀬:それではWBUについてお聞きしましょう。

 これはどういった組織ですか? また、この活動に関わられたきっかけは何だったのですか?

田畑:世界盲人連合です。当事者の団体と支援者の団体から組織され、世界179カ国が加盟していて、アジア・太平洋地域では23の国と地域が入っています。

 WBUが現在の地域割になったのが2000年以降で、アジア太平洋地域でも地盤固めをしようとブラインドサミットを開催したときに通訳で入ったのがきっかけでした。その際に日本盲人会連合で国際委員会が立ち上がり、しかも、WBUの方からジェンダーバランスの関係で女性役員を出さなければという声が出始めたのです。

 その後、2003年にアジア太平洋の中期総会をシンガポールで開催したときに、その場で女性だけのネットワークを作りましょうと話が進んで、「日本の代表はあなたね」と決まってしまったのです。

 当時の私は役員でもなく、通訳として行ったはずなのに図らずも日本の代表になってしまいました(笑)。

初瀬:縁と言いますか、人が前向きに行動していると、予期せぬ形で目の前が開けてきますね。

 女性だけのネットワークだったところから、どう変わっていくのですか?

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