百年レストラン 「ひととき」より

2017年5月23日

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菊地武顕 (きくち・たけあき)

1962年、宮城県生まれ。編集者・記者。「E
mma」「女性自身」「週刊文春」「週刊朝日」と、25年以上にわたって週刊誌編集部で働く。著書に『あのメニューが生まれた店』(平凡社)。編書に「日本全国 おいしいものお取り寄せ」(文春文庫)。

 

「お鰭をどうぞ」と女将の悦子さん(上)。鯛、餅、結びハンペンなど目出度い食材が入ったお鰭椀。さっぱりとした味わいの吸い物だ(下)

 「お鰭(ひれ)をどうぞ」

 全員が着席したところで、女将の坂本悦子さんが1人1人に椀を配りながら、声をかける。料理は、この挨拶で始まるのだ。

 長崎名物の卓袱(しっぽく)料理は、江戸時代に当地を訪れた中国人によって伝えられた接客様式と料理をもとにしている。伝統的日本料理が1人1人に膳を配るのに対し、皆で大きな円卓を囲み、大皿に盛られた料理を取って食べる形式。日本食に加え、中国、オランダ、ポルトガルの料理をアレンジし、目にも美しい盛り付けの皿が次から次へと供される。甘く炊いた黒豆が出たり、フルーツの後にお汁粉で締めくくったりするのは、かつて砂糖が出島を経由して輸入されていたこともあり、贅沢品の砂糖をふんだんに使えた名残だという。

 女将の挨拶に出てくる「お鰭」とは、鯛が入った吸い物のこと。魚の尾鰭は、1尾にひとつしか付いていない。つまりこの挨拶には、客1人に鯛を1尾使っておもてなしをする、という意味が込められているのだ。

 「坂本屋」が出島の北側数百メートルの金屋町(かなやまち)に旅館として開業したのは、明治27年(1894)。4代目店主・坂本卓也さんの妻である悦子さんが説明する。

自慢の卓袱料理。昼3,000円(税別。以下同)、夜は8,000円から。写真は10,000円のコース5人盛で、刺身、蒸し鮑、鴨の燻製、鱧、旬菜の炊き合わせなどが並ぶ(内容は日によって変更)

 「初代・坂本寅一(とらいち)は市内の別の地域で、呉服商や両替商、旅館などをやっていました。出島がなくなって泊まるところを失った外国人が街に溢れているのを見て、商売になると考えた。そのように主人から聞いております」

 同じことを考えた人が多かったのか、金屋町や隣接する五島町(ごとうまち)は一大旅館街だったそうだ。しかし今も残るのは「坂本屋」だけ。

 「旅館だけでしたら、うちもなくなっていたことでしょう。時代時代に合わせて、いろんなことを手掛けてきましたから」

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