百年レストラン 「ひととき」より

2017年6月6日

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菊地武顕 (きくち・たけあき)

1962年、宮城県生まれ。編集者・記者。「E
mma」「女性自身」「週刊文春」「週刊朝日」と、25年以上にわたって週刊誌編集部で働く。著書に『あのメニューが生まれた店』(平凡社)。編書に「日本全国 おいしいものお取り寄せ」(文春文庫)。

 

 「そのうち食べ物に力を注ぎ始め、小料理屋の体裁を取るようになりました。
 戦時中は軍によって撤去されました。記録や写真はないんですが、この公園を散歩していたご老人から聞いたところ、建物は壊されて大砲が設置されたそうです。原爆が投下された時は、江波山にもガラスの破片などが飛んできたという話です」

戦後の土地改革で江波山は公園に

 終戦後、跡を継いだ松谷夏女史はいち早く店を再開。これが功を奏した。というのも、市は土地を接収して公園とした。その際、すでに営業していた店舗に立ち退きを強制することはできず、既得権として営業を認めてくれたからだ。

 店の業態が大きく変わったのは、夏女史の息子・松谷全徳(ぜんとく)さんがドイツ留学から帰国してから。昭和40年代初頭にフレンチレストランに生まれ変わり、現在の店舗の基礎が建てられた。全徳さんは精力的に事業を拡大し、他にも市内に5店舗をオープンさせた。

旨味の強い山形天山ポークの大葉オイル焼きと蕪のスープ(左)
今日のデザートは、キャラメルリンゴとグラノーラのアップルタルトなど4品の盛り合わせ(右)

 「僕の入社は、昭和57年(1982)。高校を卒業して1年間調理師学校に通って入社したんです。当時のシェフからは、料理への強い息遣いを学びました」

 全徳さんは店の経営に燃えていた。一方で厨房のスタッフも、料理に情熱を注いでいた。熱い男同士の議論はしばしば激しくなり、やがてシェフが店を去ることになった。その後釜(あとがま)として白羽の矢が立ったのが、入社間もない山口さんだった。

 「僕がやっと21歳になる年のことですよ。それでも引き受けたのは、怖いもの知らずだったからでしょうね(笑)。

 もっと驚いたのは、24歳の時。全徳さんが、広島を離れることになったんです。全徳さんは他の店舗は畳んだんですが、原点ともいえる江波山の店だけは残したかったようです。そこで僕に、店を任せたいという話を持ちかけてきて。僕は、経営の方はさっぱり。帳簿のつけ方さえ分かりませんでした。でも引き受けたのは……やっぱり怖いもの知らずだったんでしょうね(苦笑)」

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