オトナの教養 週末の一冊

2017年5月20日

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塚崎公義 (つかさき きみよし)

久留米大学商学部教授

1981年、東京大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。主に調査関連部署に勤務した後、2005年に銀行を退行して久留米大学へ。著書に『増補改訂 よくわかる日本経済入門』(朝日新書)、『老後破産しないためのお金の教科書』(東洋経済新報社)、『世界でいちばんやさしくて役立つ経済の教科書』(宝島社)、『なんだ、そうなのか! 経済入門』(日本経済新聞出版社)など多数。

 世界的なベストセラーの下巻です。感想を一言で言えば、「著者の柔軟な発想に圧倒された」ということになります。平易な本ではありませんが、興味深いので、自然と読み進めることができました。以下、下線部分は著書の抜粋等、それ以外は評者の感想です。内容が多岐にわたるため、評者が恣意的にコメントしたい所だけを抜粋等していることをご了承下さい。

第12章 宗教という超人間的秩序

一神教は、宗教の歴史の圧倒的地位を占めてはいない。紀元前の世界には一神教信者はほとんどいなかった。また、仏教や儒教は、神への無関心が特徴である。

 日本人としては、特に違和感はありませんが、欧米の読者にとっては驚くべき事でしょうね。イスラエル人の著者にとっても、意外だったはずですね。

自由主義も社会主義も、人間至上主義という宗教であり、前者では自由を、後者では平等を守るという戒律が、最重要とされている。

 たしかに、「どうして自由や平等が大事なの?」と子供に聞かれても答えに困りますね。「理屈ではなく宗教だから」ということなのですね。

今ひとつの人間至上主義宗教は、一神教と縁を切った、ナチスの進化論的なものである。白色人種の優越性を説いていた人々も、同類であった。

 「劣等民族の皆殺し」が許されないことは当然です。しかし、「農作物に品種改良が行われているのだから、人間だって品種改良できるはず」というのは、論理的には正しいのでしょうね。それが「神への冒涜である」と考えるか否かは、宗教観なのかも知れませんね。それ以上に難しいのは、「何を改良と定義するのか」ということでしょう。宗教観からの議論なのでしょうか。時の権力者が改良の定義を決めてしまうのは怖いですね。様々な面で難しい問題ですが、人類の技術の進歩は、そうした検討を迫っているのでしょう。

第13章 歴史の必然と謎めいた選択

歴史学者は、キリスト教がどのようにローマ帝国を席巻したかは詳述できても、なぜこの特定の宗教が選ばれたのかは説明出来ない。

 たしかに、「あの時の戦争や選挙で反対側が勝っていたら、世界は異なる姿だっただろう」といった分岐点は無限にあったはずですね。歴史は必然などではなく、偶然の重なり合いなのですね。今後もそうなのでしょうね。昨年の米国の大統領選挙の結果が世界を大きく変えたことは間違いなさそうですし(笑)。

文化は一種の精神的感染症あるいは寄生体で、人間は図らずもその宿主になっていると見る学者が増えている。

 「人間(あるいは人類)が自分たちですべてを決めている」と思ってはいけない、ということのようです。でも、「文化に支配されている」って、考えただけで気持ち悪いですね。「遺伝子に支配されている」「小麦に支配されている(上巻参照)」っていう、もっと気持ち悪い学説もありますが(笑)。

第14章 無知の発見と近代科学の成立

科学革命以前、人々は「神々はすべてを知り、重要なことはすべて聖書やコーランなどに書いてくれた」と信じていた。

近代科学は「進んで無知を認める意思」等の点で、それ以前と根本的に異なる。

 人々が「自分たちの知らないことはない」と考えていれば、進歩しないのは当然ですね。仮に知らないことがあれば、それは聖書等の理解が不十分だからであって、問題を解決できるのは宗教家であって科学者ではない、と信じられていたのでしょうね。そんな時代に科学が進歩しなかったのは当然ですね。過去数百年の科学の進歩と比べると、それ以前の数千年間の科学の進歩の遅さは「異次元のスピード」ですからね(笑)。

第15章 科学と帝国の融合

1750年頃まで、世界の権力の中心はアジアだったが、1850年頃までの間に中心がヨーロッパに移った。

 欧米人は、「人類が誕生して以来、欧州が世界の中心だった」といった顔をすることがありますが、欧州が世界の中心だったのは、長い歴史のほんの一時期なのです。日本人はそれを忘れている(あるいは意識していない)のですが、中国人はしっかり覚えていて、「人類が誕生して以来、中国が世界の中心だった。最近200年ほどが例外なのだ」と考えているのかもしれませんね。「中華民族の偉大なる復興」という習主席の言葉にも、そんな香りが感じられますね。

第16章 拡大するパイと資本主義のマジック

資本主義は、資本と富を区別する。資本とは、生産に投資される金や財や資源だ。

 中世の王侯貴族が贅沢をしていたのに、資本家は贅沢をするより投資してさらに儲けようとする。それが経済を成長させる、ということなのですね。

有限責任の株式会社は、各自が自己資本の一部を危険に晒すだけで設立出来る制度である。

 これは、今なら常識ですし、これが資本主義を大きく発展させたわけですが、有限責任制度というのは、できた時には「コロンブスの卵」だったのでしょうね。ちなみに、評者が学生に説明している株主有限責任制度は、以下の通りです。

 「仮に、株主が無限責任を負わされるとしたら、誰も株主になろうと思わないでしょうから、株式会社が設立されず、経済は成長できないでしょう。銀行にとっては、不愉快な制度ですが、経済にとっては必要な制度なのです。銀行は、その分だけ貸出に際しての審査をしっかり行ない、利鞘も確保することで、制度に順応しようと努力しているわけです」

「資本主義は、農業革命と同様、苦しむ人々を増やしたが、もう引き返せない」のであろうか。「今少し経済が発展すれば、皆が豊かになれる」のであろうか。

 たしかに、資本主義以前の江戸時代に戻ろうと思っても、江戸時代の人口しか養えないでしょうから、引き返せませんね。ならば、後者であって欲しいと切に願いますが……。ちなみに、農業革命に関しては、上巻(書評のURLはhttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/9545)の第5章御参照。

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