2024年4月26日(金)

Wedge REPORT

2017年6月21日

 そしてこの経験が「負け戦」ならばなお良い。あらゆる可能性を検討し、実行した上で挫折した経験は、その状況で自分をどうマネージするか、立ち直るかを学ぶことができ、将来的にその経験は、人の挫折を救える経営者になるための素養となる。

「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」ことも必要

 経営者育成の途中で候補者から落とさざるを得ない人材も出てくるだろう。しかし、「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」ことも必要だ。その人物の人生において、経営者候補から外れても会社にとどまるのか、それとも外に出るのかの選択肢を与えることこそ、長期的にはお互いの利益につながる。もちろんその人材にカンパニーや事業部門の長を任せても良い。経営トップにはなれずとも、経営者候補として厳しい環境で決断し、責任を負ってきた人物を生かす道はあるはずだ。

 こうした経営者育成システムを導入できるかは経営者と取締役会の決断にかかっている。これだけ他の日本企業が苦境に陥った状況下で「労働組合が……」「社内の反発が……」「公平性が……」などと言っている経営者と取締役会がいれば、それは大組織という「ムラ社会」で甘やかされてきた根性ナシと言わざるを得ない。

 「社内にいないなら外資出身のプロ経営者を連れてくれば良い」といった指摘もよく受ける。しかし、例えば日本と米国では組織のあり方が全く異なるため、「プロ経営者」の全てが本当に有効かについては疑問を持っている。

 最も大きな違いは上長による解雇ができるかどうかだ。ハリウッド映画で上司がミスをしたその場で「You're fired !」と言い、部下が荷物をつめたダンボール箱を持ってビルを去るシーンを見たことがある方も多いだろう。米国組織の前提にあるのはクビになることへの恐怖だ。だから、トップダウンが機能するし、クビにならないため、その指示を必死に実行する。

 この前提を忘れて、ただ米国と同じやり方を日本に適用しようとすると、外から来たプロ経営者は失敗する。プロ経営者が成功できないのはこれが原因であることが多い。カルビー・松本晃会長などのように日本企業に入り込み改革を実行できる例はそうそうないと思ったほうが良いだろう。


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