2024年4月20日(土)

オトナの教養 週末の一冊

2017年6月23日

 〈質は二の次となり、とにかく見てもらえること、ダウンロードされること、SNSでシェアされること、広告が表示されることだけを追い求めるメディアが目立つようになりました〉

 〈取材を経たニュースなのか、ただの書き殴りなのか、発信元がメディアなのか、プラットフォームなのか、そもそも誰が作成したのかよく分からない、正確さも評価も定まっていない「劣化」した情報も同時に広がっています〉

 〈答えを見つけることもなく、たどりついてしまった先で起こり始めた退化。それこそがネットメディアの現在地である〉

 著者の現在のネットメディアを見る目は手厳しい。

技術の進化とともに、メディアはどうあるべきか

 さらに著者はこうも表現する。

 〈新聞社や出版社らが取材をしてニュースを生産し、IT企業が運営するネットメディアがニュースを流通させる〉

 まさに著者が指摘するように、メディアの中で役割分担ができてきたことも特徴の一つであろう。その結果、政治や経済、海外のニュースといった硬派なニュースよりも、芸能やゴシップといった軟派のニュースに注目が集まるようになった傾向も、多くの人が実感しているところだ。

 著者も主張しているが、きちんと取材をし、記事を書き、専門家に寄稿を依頼するなど、決して安くないコストをかけながら本来あるべきメディアとしての活動をしている組織の多くは、新聞社や出版社、通信社などの伝統メディアであるという点は、まさに同感である。そうしたメディアは評価されてしかるべきであろう。なぜなら、そうでないメディアがいま、あまりにも多く生まれているからである。

 〈信頼ある記事をつくるためには、「取材」が必要不可欠です。なぜなら取材は思い込みではなく、事実に接触しようとする行為だからです。伝統メディアは、これまで歩んできた道のりからこの重要性を理解していますが、新興メディアのすべてが、必ずしも理解しているとは言えません〉

 アメリカではフェイクニュースの存在が大きな問題となり、日本でも不正確な情報をもとに構成されたまとめサイトが閉鎖に追い込まれるなど、ネットメディアの悪弊がクローズアップされるようになっている。インターネット全盛のいま、技術の進化とともにメディアはどうあるべきなのか、深く考えるきっかけを作ってくれる力作である。

  
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