2024年4月20日(土)

特別対談企画「出口さんの学び舎」

2017年6月29日

中室:おっしゃる通りです。

出口:僕は歴史が大好きなんですけれど、世界最古の文明・シュメールの粘土板にも、今の言葉に直せば「リテラシーを上げないと、悪賢い商人に役に立たないものを山ほど買わされるで」と書かれている。だから、ヨーロッパでは教育はほとんど無償なんですよね。

中室:家計ではなく政府が負担する教育段階をどこまで見るかは、国によってかなり開きがあるのが実情です。日本では、6歳~15歳までは義務教育ですから、義務教育期間中の教育費は政府が負担するものという国民的な合意があると思いますが、就学前と高等教育は政府というより家計が負担しています。一方、北欧の国々を中心に、全ての教育にかかる費用は、家計ではなく政府が負担するという国もあります。このため、「教育」のどこからどこまでを政府が、どこからどこまでを家計が、というのは国によって異なっているということになります。

出口:教育無償というのは、僕たち保険会社の敵なんですけれどね。死亡保険が売れなくなるから(笑)。男性も女性も働いて、教育が無償だったら保険なんかいらんやろ、って話になりますからねえ。

中室:そうですよね。

早期選抜が必ずしもよい結果になるとは思いません

出口:早期教育の重要性が叫ばれていますが、小学校受験はどんな経済効果を生むんでしょうか?

中室:良い面もあるし、悪い面もあると思います。まず、子どもの学齢が小さい間に、学力やIQなどで測ることのできる認知能力を高めることは、子どもの将来にとってプラスに考えられます。一方で、厳しい選抜の存在は、保護者の社会経済的地位による格差の拡大に繋がるのではないかという懸念があります。つまり、所得や学歴の高い親ほど子どもの受験や学校選択に熱心でしょうから、あまり所得や学歴の高くない親の子どもは取り残され、子どもになんら責任のない親の経済状況による格差が拡大し、不平等感の強い社会になってしまう。

 そうした社会的な影響とは別に、私が厳しい選抜についてもう一つ懸念していることがあります。それは、厳しい選抜があると、正の「ピア効果」が働きにくいのではないかということです。ピア効果とは、端的にいってしまえば、仲間の影響ということです。

出口:ああ、なるほど。

中室:経済学の研究には、私たち人間が、親しい友人や家族の考え方や習慣、行動にまで影響を受けることを示したものもあります。喫煙、肥満、ゴルフの成績や、貯蓄性向に至るまで近しい人の影響を受けていることを明らかにした研究があります。

出口:へーっ!

中室:「類は友を呼ぶ」といいますが、「友が類になっていく」ということもあるのだということです。大人でも友人や家族の影響を受けるのですから、子どもはなおさらでしょう。海外のデータを用いた実証研究は、成績はもちろんのこと、カンニングをするかどうかなどまでも、友人の影響を受けることを明らかにしています。ただ、ピア効果と学力の関係については、まだ決着がついたとは言えない状況です。自分の周囲に学力が高い友達がいると、本人の学力が上がるケースもあれば、下がってしまうケースもある。

 しかし、一般的に、小学校受験をさせたいという動機は、私立の偏差値の高い学校へ行けば、学力の高い友人たちと一緒に過ごすことになり、おのずと自分の子どもの学力も上がるだろうと考えているからなのではないでしょうか?

出口:そうでしょうね。

中室:しかし、私たちが最近日本のある自治体のデータを使って分析したところ、日本の小・中学生については、学力のピア効果がマイナスになる――、つまり、周囲の友人たちの学力が上がれば、自分の学力が下がってしまう傾向があることが分かったのです。

出口:ほう~。

中室:なぜこうなるかというと、子どもたちは自分の学力や潜在能力だけでなく、自分の学力や潜在能力が他人と比較して相対的にどの位置にあるかということを考慮して、どれくらい勉強するかとか、どこへ進学するかなどの意思決定をしています。つまり、自分の周囲の友人たちの成績がよいということは、相対的に自分のクラスの中での順位が下がってしまうことを意味しており、それが自分の意欲や成績の低下につながってしまっているということです。

 しかし、小学校や中学校のときに在籍したクラスの中での相対的な順位など、長い人生の中では、あまりにも小さなスナップショットにすぎません。一時期、クラスの中での順位が下がったからといって「人生終わり」というわけではない。しかし、小学校受験などのように早期選抜によって厳しい競争にさらされる子どもたちにとっては、周囲のクラスメートの学力やクラスの中での自分の相対的な順位を「意識するな」というほうが難しいのかもしれません。せっかくその早期選抜で、レベルの高い学校に合格したとしても、一度学校の中で成績が下位になってしまうと上がってこられない生徒のことを「深海魚」などと言ったりするそうですが、小学校受験のような早期選抜によって、そうなってしまうリスクが存在しているということは心に留めておく必要があるでしょう。


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