この夏、日本に住む知人に聞かれて返答に窮する質問があった。朝日新聞による慰安婦報道の誤報取り消しに対する韓国側の反応はどうか、という質問だ。全くニュースにならなかったわけではないが、強い関心を示す韓国人には会ったことがなかったからだ。誤報取り消しに端を発する「朝日新聞たたき」を大きく取り上げるメディアはあったが、それは「安倍政権下で右傾化する日本」を象徴する事象という観点からのもの。慰安婦問題そのものと関連させる記事は、まったくといえるほど見当たらなかった。

誤報による韓国への影響は限定的

 朝日新聞が取り消したのは、「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」などという吉田清治氏(故人)の証言だ。朝日新聞は1982年9月2日の大阪本社版朝刊社会面に大阪市内での講演内容として報じたのを皮切りに、吉田氏に関する記事を少なくとも16回掲載した。

 朝日新聞は「他紙の報道は」として、毎日新聞と読売新聞、産経新聞も吉田証言を取り上げたと指摘した。ただ、朝日新聞以外の報道は全て90年代に入ってからで、本数も1、2本ずつ。82年から繰り返し取り上げた朝日新聞が突出していることは、明らかだった。

 ただし、吉田証言に関する朝日新聞の報道が韓国世論を誤導したという見方には、少し無理があるようだ。韓国のナショナリズムに詳しい木村幹神戸大大学院教授は、「朝日新聞の誤報による韓国側への影響は限定的なものだ」と話す。この点に関する認識の違いが、日本側に「韓国でも騒ぎになっているに違いない」という誤解を生んだと言えるだろう。

きっかけは91年の北海道新聞の報道

 木村教授によると、韓国メディアが慰安婦問題に関する重大証言として吉田証言に注目したきっかけは、91年11月22日の北海道新聞の報道だ。韓国メディアはこの時まで、朝日新聞の吉田証言報道をほとんど後追いしなかったのに、北海道新聞の記事が出た時には一斉に動いた。韓国の多くのメディアが同月25日以降、吉田氏に取材した記事を大きく掲載したという。

 韓国メディアはそれまで、労働者を中心とする「強制連行」の告白として吉田証言を扱うことが多かった。韓国MBCテレビは84年5月27日のニュース番組で、「韓国人労務者と慰安婦たちを強制連行した実務責任者」として吉田氏を取り上げているが、他のメディアに広がることはなかった。

 それが、北海道新聞の記事が出た後は、慰安婦問題に関する重大証言という扱いに変わった。背景として考えられるのは、同年8月に元慰安婦による初の実名証言があったことで韓国内の関心が高まっていたことだ。MBCは北海道新聞の報道後、吉田氏が「慰安婦強制連行の真相を暴露した」と報じたが、なぜか84年の自らの番組には触れなかった。

 もちろん、朝日新聞の慰安婦報道が韓国世論に全く影響を与えなかったわけではない。宮沢喜一首相(当時)の訪韓直前だった92年1月に一面で「慰安所 軍関与示す資料」と報じた時には韓国世論が沸騰し、5日後にソウルで行われた日韓首脳会談で大きな問題となった。ただし、これは、首脳会談直前というタイミングが大きく作用したものだ。

慰安婦と女子挺身隊の混同

 朝日新聞を巡っては、90年代初めまでの記事における慰安婦と女子挺身隊の混同も問題とされた。ただ、韓国では80年代初めの時点で既に両者の混同が一般的だったため、朝日新聞はこれに引きずられた可能性が高い。

 韓国紙・朝鮮日報の記事データベースで「挺身隊」という言葉を調べると、80年代に計9本の記事があり、少なくとも8本は慰安婦と挺身隊を混同していた。中には「日本軍の慰安婦(挺身隊)」と書いている記事もあるが、多くは「慰安婦」という言葉を全く使っていない。50~70年代には、米軍兵士の相手をする女性という意味で「慰安婦」という言葉を使った記事がたくさん出ているため、これとの混同を避けようとする意識が働いたのかもしれない。

 一方、朝日新聞のデータベース(84年以降の記事を収録)で「挺身隊」を検索すると、慰安婦と挺身隊を混同していた記事には「慰安婦と挺身隊の混同がありました」という注釈が付いている。この注釈の数を見ると、80年代は同一の筆者が84年と89年に書いた計2本だけなのに、90年代になると、91年7月末から92年2月初めまでの間に計14本が出てくる。

 朝日新聞における慰安婦と挺身隊の混同は、この半年間に集中的に起きた現象だ。朝鮮日報は80年代から日常的に混同していたことを考えると、朝日新聞は、韓国における用語の混同を正さずに使ってしまったと考えるのが自然だ。朝日新聞にも「挺身隊」の本来の意味である勤労挺身隊に関する記事もたくさん出ていたのだから、もっと早く混同に気付くべきだったとは言えるが、朝日新聞が作り出した間違いが韓国に伝播したと考えることは難しいだろう。

金大中、盧武鉉政権で強まった市民団体の発言力

 朝日新聞の慰安婦問題を巡る、より大きな誤解は、「朝日新聞の報道がなければ外交問題化することなどなかった(はずだ)」というものだろう。もちろん、前述の「軍関与示す資料」の特ダネが日韓首脳会談で取り上げられたことで、一気に外交問題化したことは否定しがたい。ただ、韓国社会の内部事情を見ると、朝日新聞の報道がなくても慰安婦問題は出てきたと思われる。冷静に見るならば、朝日新聞の報道は、その時期を若干早めたに過ぎない。だから、朝日新聞の誤報取り消しは、韓国側にほとんどインパクトを与えていないのだ。

 韓国で慰安婦問題が大きな注目を集め始めたのは、87年の民主化以降のことだ。民主化で力をつけた市民運動家の一部が「次の課題」として取り組んだことが大きかった。大きな影響力を持つ支援団体、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)も90年の設立で、主軸は今でも民主化運動出身者だ。朝日新聞による80年代の誤報が韓国社会に大きな影響を与えなかったのは、韓国社会自体が慰安婦問題に特別な関心を持ってはいなかったからなのだ。

 市民団体の取り組みが始まっても、すぐに影響力を持つようになるわけではない。93年に発足した金泳三政権は当初、日本に金銭的賠償を求めないと表明して市民団体とは距離を取った。だが、95年10月に村山富市首相(当時)が参院本会議で、韓国を植民地化した日韓併合条約について「法的に有効に締結された」と答弁したことが外交問題となった。

 当時の事情を知る韓国外務省関係者は、「参議院での答弁によって、(植民地支配と侵略に対する反省とおわびを表明した同年8月の)村山談話に対する肯定的評価など吹っ飛んでしまった」と振り返る。韓国側関係者は関連を否定するものの、金泳三政権の対日姿勢はこの頃から強硬になり、元慰安婦への償い金支給などを行ったアジア女性基金にも否定的な立場を取るようになった。

 98年に発足した金大中政権と次の盧武鉉政権では、民主化運動を担った勢力が政権中枢に入り、市民団体の発言力がさらに強まった。金大中政権では、大統領の政治的同志ともいえる存在だった大統領夫人、李姫鎬さんの存在も大きかったのではないかと指摘される。李さんは女性運動出身で、大統領選中の共同通信の取材に「慰安婦問題などは、韓国の市民運動が求めている方向で解決してほしい」と明言しているのだ。金大中政権では、女性省が創設され、女性運動出身者が女性相に任命された。

 韓国の市民団体は、金大中、盧武鉉両政権の時期に社会的影響力を確立したとされる。政権は08年に保守派に戻ったが、市民団体の影響力は健在だ。その中でも、女性の「性」というセンシティブな問題である慰安婦問題に長年取り組んできた挺対協は、極めて大きな影響力を持つようになった。

事実上の拒否権を持つ挺対協

 日本は民主党政権だった2012年春、▽首相が改めて謝罪を表明する▽駐韓日本大使が元慰安婦を訪ねて直接謝罪を伝える▽政府予算を使って元慰安婦への人道支援を行うーーという解決策を非公式の案として韓国政府に提示した。この案は、佐々江賢一郎外務事務次官(当時)が訪韓して伝えたため、韓国では「佐々江案」と呼ばれている。

 日本側は「これ以上は絶対に無理」と伝えたが、韓国政府は「日本政府の法的責任を認めない人道支援という名目は受け入れられない」と拒否した。当時、韓国外交通商省(現外務省)の東北アジア局長として受け入れ拒否を強く主張した趙世暎氏は今、「日本の国家責任を認めていない案を、被害者と関連団体が受け入れるとは思えなかった」と理由を語る。

 挺対協が、事実上の拒否権を持つにいたっているということだ。ただ、民主化以降の韓国社会の動きを考えてみると、それは必然の流れのように思える。

 朝日新聞が吉田氏を繰り返し取り上げたことで、吉田氏を調子づけたという効果は大きいはずだ。極端な主張をする韓国の市民団体などに強制連行説の根拠の一つを提供したことも否定しがたい。それ以上に、一連の誤報と遅すぎた「検証」によって、日本国内における慰安婦問題に関する議論をゆがめてしまった。こうした点において、朝日新聞を批判するのは妥当だろう。だが、吉田証言に関する朝日新聞の報道が韓国のメディアや世論に大きな影響を与えたのかと問われれば、かなり大きな疑問が残るのである。

[特集]今後の日韓関係を考える