没後50年を記念した「北大路魯山人展」が、何必館・京都現代美術館で開催中だ。「魯山人の器は使うことで輝きを放つ」と語るのは同館館長・梶川芳友氏。魯山人に魅せられ、その生涯を45年間追い求めてきた梶川氏に、魯山人の器の魅力についてうかがった。

「於里遍四方向付」1954年 「備前トクリ」 1953年「染付鯰魚皿」1923年 「志野さけのみ」1953年すべて何必館・京都現代美術館蔵

――魯山人のやきものは、彼の食道楽から生まれたといわれていますね?

梶川館長:料理はそれにふさわしい器に盛ってこそ、本当に賞味することができるというのが魯山人の持論でした。けれど、彼は既製の器に満足できなかった。料理を盛る器について、魯山人はこんなことを書いています。「古いものでは上等すぎる。新しいものでは可哀想すぎる」。何百年という時代を経た名品の器は、自分の料理を盛るには上等すぎるが、現代作家のものではしっくりこない。自分の料理を盛る器がないというんです。それが、魯山人がみずから作陶を始めたきっかけです。

――魯山人は大正14年に、政界、財界、文化界の人々1000人余りを会員とする高級料亭「星岡茶寮」を開きますが、彼が作陶を始めたのはその頃でしょうか?

梶川館長:もう少し前です。「星岡茶寮」を開く前、魯山人は東京・京橋で「大雅堂美術店」という美術骨董を商う店を経営しており、そこで限られた人たちに手料理を振る舞っていたんです。彼は料理の達人でしたからね。その味が次第に評判になり、大正10年には「大雅堂美術店」の2階に会員制の料理店「美食倶楽部」を開くまでになります。「美食倶楽部」では、最初、「大雅堂美術店」が扱う骨董の器を使っていたのですが、やがて自分でつくった器を用いるようになります。

「備前火ダスキ平鉢」1953年何必館・京都現代美術館蔵

――魯山人の器のなかには、華やかな絵付けが施されているものもありますね。そういう器でも料理が映えるのでしょうか?

梶川館長:魯山人の器は一貫して、そのものだけを見ると何か少し物足りないような印象を受けます。それはなぜかというと、器というのは必ず何かが盛られるわけで、魯山人は、その分を残して制作したんです。主役である料理の分だけ控えてつくる。料理が加わることによって1つの器が完結するというか、使ったとき、一番輝いて見えるようにつくられたのが魯山人の器なんです。

――「控える」というのは、器の柄や色、形などを抑えるということですか?

梶川館長:一見すると色調が渋すぎるように思える器でも、料理を盛ると引き立ってみえ、見事に調和するといったことですね。豆腐を盛るなら、器は引き立てる要素がたくさんあったほうがいいでしょうし、逆に、料理自体が華やかなら、器は引き立て役として何もしてないほうがいい。そういう使い分けを、魯山人はあらゆる料理に対処できるように考えていたんじゃないかと思います。

――魯山人は器をつくるとき、この料理にはこの器をと決めてつくっていたのでしょうか?

「雲錦鉢」 1938年何必館・京都現代美術館蔵

梶川館長:この料理以外には使わない「一器一用」もあっただろうし、いろんな使い方ができる「一器多用」もありました。たとえば、つばきや紅葉が描かれた大鉢は、そこに料理を盛ることもできるし、水を張って植物を鑑賞することも、菓子を盛ることもできます。「一器一用」の器の例として挙げるなら、「織部木ノ葉皿」でしょうね。これは、鮒寿司を盛るためにつくったのではないかと私は思っています。

――「織部木ノ葉皿」は、梶川さんが初めて手に入れた魯山人の器だそうですね?

梶川館長:この皿を出発点に私の魯山人遍歴が始まった、記念すべき1枚です。私が初めて魯山人の器に出会ったのは、まだ20代の初めの修業中。ある方に築地の料亭に連れて行かれたのですが、そのとき出された料理の器が、すべて魯山人作だったのです。私は、よい器で食事をすることの喜びを思い知らされ、ほどなくしてこの「織部木ノ葉皿」を手に入れました。実を言うと、最初はコレクションしようという気持ちはなく、魯山人の人間性に興味がわいたのです。

 というのも、当時、魯山人について書かれたものを読むと、傲岸不遜だとか野蛮だとか悪口ばかりでした。それでも私は、こんな器をつくる人が本当に傲岸不遜だろうか、これだけ痛烈に批判される人というのは「何か」を成している人ではないのかと思ったんです。その「何か」をものすごく知りたいと思った。けれど、すでに魯山人は亡くなっており、直接会って話を聞くことはできない。だから、彼の作品から人物を推し量ろうとした。どういう美意識、どんな思想、哲学を持っていたのか。作品を1つでも多く目にし、接して、使いたいと思った。それが彼のコレクションへとつながったのです。

梶川館長が初めて入手した魯山人作品
「織部木ノ葉皿」1953年 
何必館・京都現代美術館蔵

 ――梶川さんは、買い求められた魯山人の器をご自宅で実際に使われたそうですね?

梶川館長:45年間、使い続けてきましたよ。そして、見えてきたことがたくさんあります。魯山人の器が“使うことで輝きを放つ”こともそうですし、彼の“優しく、謙虚な人間性”もそうです。主役である料理の分だけ控えておくというのは、とても謙虚なことです。作家は自分を主張したいですから、なかなかできない。控えるには勇気、覚悟がいります。それが魯山人の器の最大の魅力ではないでしょうか。また、彼は、箸置きや小皿などの小物や、茶碗をすすいだ湯水を捨てる茶道具「建水」や蓋置きなども手を抜かず、一生懸命つくりました。小さいもの、弱いもの、脇のものを大切にしたんですね。

何必館・京都現代美術館館長の梶川芳友氏。魯山人の生涯、作品を45年間追い求めてきた

――話が変わりますが、魯山人は生れ落ちるとすぐに貧しい農家に里子に出され、それを振り出しに養家を転々とさせられますね。彼が弱いものや日陰のものを愛しむのは、彼が酷薄不遇な幼少年期を送ったことと関係があるのでしょうか?

梶川館長:それは「根」としてはあると思いますね。魯山人は料理の食材を粗末にしなかったし、陶芸で失敗しても捨てるのを嫌ったそうです。ヒビが入っても、銀で補修して焼き直して、すばらしい作品に生まれ変わらせた。愛情と時間をかけることで欠点を長所に変えたんです。そういうところにも魯山人の愛情深さを感じます。私は魯山人に会うことができませんでしたが、もしも会っていたら何も起こらなかったかもしれない。叶わぬ思いが、思いを大きくすることってありますよね。

 今回の展覧会は、私が45年間思い続けて“魯山人の世界”を1つの形にしたものです。魯山人の生存中に行き来のあった方から「この展覧会を魯山人に見せてやりたかった!」と言われました。最高のほめ言葉です。魯山人の作品はなぜ多くの人を魅了するのか、彼は作品を通して何を訴えようとしたのか。ぜひ、実際に魯山人の作品をご覧になって、その答えを見つけていただきたいですね。

没後50年 何必館コレクション—生活の中の美—「北大路魯山人」展
京都市東山区・何必館・京都現代美術館(京阪本線祇園四条駅下車)
〈問〉075(525)1311
http://www.kahitsukan.or.jp/frame.html
〈巡回展〉静岡コンベンションアーツセンター「グランシップ」
2009年12月11日~2010年1月11日 会期中無休

※「今月の旅指南」は月刊「ひととき」に掲載されていますが、この記事はWEB限定です。