日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

2019年6月20日

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早川友久 (はやかわ・ともひさ)

李登輝 元台湾総統 秘書

1977年栃木県足利市生まれで現在、台湾台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学卒業後は、金美齢事務所の秘書として活動。その後、台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフを務めるなどして、メディア対応や撮影スタッフとして、李登輝チームの一員として活動。2012年より李登輝より指名を受け、李登輝総統事務所の秘書として働く。

李登輝の北京語は、どうしてあんなにめちゃくちゃなのか

 李登輝夫妻ともに、母語は日本語といって差し支えないだろう。有名なフレーズだが、李登輝はたびたび「私は22歳まで日本人だった」と言う。それは裏を返せば、李登輝や曽文恵夫人の中国語はその年齢になってから学び始めた言語だということだ。

 現役総統の時代、李登輝が話す中国語をメディアはたびたび批判した。当時のことを、同じ日本語世代の父親を持つ映画監督の呉念真は次のように語っている。

 「李登輝が総統になって間もなく、記者を務める私の多くの外省人の友人たちは新聞でこう言い始めました。『李登輝の北京語は、どうしてあんなにめちゃくちゃなのか』と。

 それは彼の文法が北京語の文法とはだいぶかけ離れていたからです。たとえば、先に話すべきところを後にし、後にしゃべるべきところを先にするといった具合です。そのため記者らは毎日、『北京語がどうしてこうなるんだ』と罵ったわけです。

 そのとき私は突然わかったのです。『なるほど、私の義理の父がしゃべっている北京語も全く同じだ』と。義理の父は早稲田卒ですが、北京語はめちゃくちゃな表現がほとんどです。それは日本語が教育上の言語で、母語が台湾語である彼らにとって、北京語は外来語だからです。

 ゆえに李登輝は記者から北京語で質問されると、必ずそれを日本語に訳し、日本語で質問の意味を理解してから、日本語で回答を考え、そしてそれを北京語に訳して返答していたのです。

(中略)若い外省人の記者らは、彼らの歴史的背景に立ち入ってそれを理解したことがないわけです。彼らは、この人たちが生まれてからずっと日本教育を受けたということを見逃していました。一夜にして中国人にならなければならなかったことを見逃していました」(2005年、呉氏が日本で行った講演から)。

 22、3歳から中国語を習い始めた、ということは私と似たり寄ったりである。仕事でもよく顔を合わせる総統SPのひとりに言われたことがある。

 「おまえの中国語はラオパン(李登輝総統のこと)の中国語に良く似てる。なんだか外国人が話すような表現がしょっちゅう出てくる」。

 よくよく尋ねてみると、意味は通じるが、語順が違ったりして、なんとなく台湾人っぽくない表現がところどころに出てくるそうだ。そうは言っても、私も李登輝も、生まれながらではなく後天的に学んだ言語なのだから仕方がない。

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