2020年10月21日(水)

京都医塾

2020年2月1日

PR
医学部受験は親子で挑む闘いだ。たとえ何年かかっても、目先の結果に一喜一憂せず、合格までの確たるルートを見据えた者だけが栄冠を得る。高い合格率で知られる京都の私塾に毎年届く合格者の保護者からの感謝の手紙。そこに綴られた長く厳しい闘いの軌跡が、それを物語る。

七度目の挑戦の劇的結末
親子で制した最後の闘い

 

 今年の受験もこれまでか……。悪い予感が母親の脳裏をよぎったのは、前期二次試験の結果に激しく落ち込む息子のTくんを見たときだった。これでもう医大受験は七度目の挑戦なのだ。どうにかして長年の願いを叶えてやりたい。なのに今回も、補欠には残ったものの、結局、繰り上げ合格が来ることはなかった。

 以前の息子なら、ここであきらめていただろう。事実、昨年は前期の失敗を引きずり、後期で力を発揮できずに受験が終わった。

 だが、今年のTくんは違った。「望みはある。ここまで来られたじゃないか、絶対にあきらめるな」。通っていた医学部専門塾の講師に励まされ、最後まで闘い抜くことを誓う。3月上旬、気力を漲らせて臨んだ後期入試の首尾は上々。この塾で過ごした3年半、壮絶な勉強漬けで体に染み込ませてきた基礎学力。それが一気に爆発した。

 3月中旬。第一志望校から後期補欠合格の知らせが届く。でも過度の期待はもうしない。気持ちを切り替え八度目の挑戦を腹に決めたその途端、後期試験、悲願の正規合格が一つの医大から届いた。

 「あきらめなくて本当によかった」と母親は涙ぐむ。しかし、もっと驚くことになったのは2週間後だ。ハレの入学式を直前に控えた夜9時、Tくんの携帯電話が鳴った。夢にまで見た、第一志望からの「繰り上げ合格」通知である。

折れない覚悟で道を開く
京都の私塾の「合格道」

 「合格するまでは絶対にやめられない、長く厳しい戦いの始まりでした」。そう語るTくんの母親が振り返るのは、親子でこの塾の門を叩いたあの夏のことだ。当時Tくんは看護大の2年生。三度の医学部挑戦に敗れ、やむなく選んだ道だったが、どうしても医師への思いが断ち切れない。「再受験をさせてほしい」。頭を下げる息子の切実な願いに心が揺れた。

 親子が選んだ再出発の場は、熾烈な競争が繰り広げられる医学部進学ブームの中で、10年以上も高い合格率を維持する京都の私塾。親世代の受験時とは異なり、今では偏差値60以下の医学部は皆無だが、この塾では偏差値40台からの合格者も珍しくないと耳にした。

 空白期間もあるTくんの偏差値はそれにも届かない最低水準。基礎学力の不足は著しく、ことに英語力は母親も目を覆うほどの有様だ。中学レベルから鍛え直すほか術はない。体験授業とカウンセリング、達成度テストの結果、そう診断されたTくんは、壮絶とまでいわれる厳しい学習に耐える覚悟とともに入塾を決めたのだ。

京都医塾では全国から集まる医学部志望者が学ぶため、一人暮らし用のマンションも準備。女性専用マンションもある。

完全オーダーメイドで描く
合格までの最適ルート

 この塾の指導はスパルタ式ではない。現実から目を背けず、合格に必要なことを徹底して実行させる姿勢が厳しいのだ。医学部が求める学力を基準として、一人ひとり異なるそこまでの距離を埋めるための個別カリキュラムを策定する。その完全オーダーメイドの学習プランを全力で遂行する、自分との闘いの連続である。

 その毎日を80名を超える社員が支え、励まし、学習面・生活面ともに塾生の状態から目を離さない。毎週必ず行う担任とのカウンセリングを踏まえ、学習プランは軌道修正をして磨き上げていく。その状況を詳しく伝える年5回の三者面談は、「見守ることしかできない私たちへの励ましにもなった」とTくんの母親は言う。

 自分専用の個人ブースで受けるマンツーマン授業、自己を相対化するための集団授業、各教科のエキスパート講師13人による自分のためのチーム、それらのすべてが綿密な学習プランと相まって、合格までの最適ルートを形作る。

 「多浪でも、大学中退でも、何度つまずいても全力で励まし、サポートしてくださった京都医塾の先生方、心から感謝しています」

 母親の手紙は長く、温かかった。

個人授業と集団授業の相乗効果で実力を伸ばす。集団授業は競争心に火をつけ、自分の力を相対化するために役立つ。
個人ブースで行われる個人授業。講師が次々に部屋を訪れ、目の前で自分一人のために学力を磨いてくれる。
個人ブースは自分専用。卒業するまで自宅の勉強部屋のように使い、1日十数時間にもおよぶ勉強漬けの毎日を送る。